山本健人『すばらしい人体』を読んでいる。
https://www.diamond.co.jp/book/9784478113271.html
正直に言うと、内容はめっちゃくちゃがんばればぼくにも書ける。しかし、この文章はとうていぼくには書けない。べらぼうにうまい。
実家の両親に見慣れない高価な食材を持っていって食べてもらったところを想像してほしい。そのときの、親のリアクションを思い浮かべてほしい。
「あらあら、まあまあ、おやおや、うまいねえ!」
という感じだ。
今のは例え話として完全に滑ったが、本書は例え話まで含めて完璧に、うまい。けいゆう先生はすごい。
うまいとすごいしか言っていないのでもう少しちゃんと語ろう。オーオーフォルツァサッポーロ。フォッツァサーッポロ。フォツァサポロ。そのチャントではない。
本書は充実の分厚さである。章が5つもある。章タイトルはそれぞれ以下の通りだ。
1.人体はよくできている
2.人はなぜ病気になるのか
3.大発見の医学史
4.あなたの知らない健康の常識
5.教養としての現代医療
これを、医学部を卒業して医師としてはたらくぼくの目で専門的にラベリングしなおすと、こうなる。カッコ内は、医学部のだいたい何年目くらいに習うか、という目安である。
1.人体はよくできている →解剖生理学(1年生~2年生)
2.人はなぜ病気になるのか →病理学(3年生)
3.大発見の医学史 →医学史と感染症学と基礎医学研究(1~3年生)
4.あなたの知らない健康の常識 →臨床医学と生理学(4年生、2年生)
5.教養としての現代医療 →臨床医学の中の治療学と病棟医学(5年生、6年生)
おわかりだろうか、医学部で6年間かけて習った内容がちりばめられている。これめちゃくちゃ大変なことだよ。ふつう一人の医師がやることではない。というかこれをぜんぶ網羅できる視野の広さに恐れ入る。
そして、重箱の隅情報としては、「医学史を第1章に持ってこないところが上手!」だと思う。偉くなった医者が陥りがちなワナだ。「医学というのは先人がつみあげてきた努力の結晶だからうんぬん」と言って、本の最初からいきなり150年前の医学を語って読者を引かせてしまうケースがいかに多いことか。
それを、本の中盤に持ってくるという構成は上手だ。そして、スジが通ってもいる。
スジが通っているというのはなぜか。じつは、医学史の序盤戦は「外傷と感染症との戦い」なのだが、感染症学というのは基本的に「解剖生理」を習ったあとでないと、医学生もピンとこない。だから、医学部のカリキュラムでも、習う順番は真ん中あたりである。しかし、歴史の話は1年生のときに習う。するとどうなるかというと、大半の医学生が、「なんか昔エラいヒトがいたってことはわかるが、難しくてよーわからん」という気持ちになる。
逆に、医学史がそういう「難しいものだ」という印象を持っているからこそ、偉くなった医者はよく歴史の話をするのだ、とも言える。「歴史の話まで言える俺、教養あるわー」と無意識に鼻高々なのではないか(偏見?)。
そこでけいゆう先生は、意図的か無意識にかはわからないけれど、医学史の内容を3章という絶妙のポジションに置いている。こうすることで、本書は全体的にぐぐっと読みやすくなる。
やっぱり序盤は「目をつぶって右手でいいねのポーズをつくり、左手でその親指をガッと掴めるのはなぜでしょう?」みたいな話でスラスラ読みたいじゃない。「肛門は空胞(おなら)と実弾(うんこ)を区別できるんですよ」みたいな話でゲラゲラ読みたいじゃない。読み手のことをとってもよくわかっているなーと思うのだ。
そして4章と5章がまたシブい。内容としては医学部の後半、さらにはじっさいに医者になって病棟ではたらきはじめてからの知識が必要となる、じつに高度で先進的なことを言っている章なのだけれど、それを「非医療者がわかるエピソード、わかる言葉」できっちりシンプルに(でも豊潤に)描いているので恐れ入る。
いやーすげえ書き手だよ。あらあら、まあまあ、これ、おいしいねえ。(……うちの親は食べ物を食べて「うまい!」とは言わないことに気づいた。)