2021年9月27日月曜日

食う寝る遊ぶ

朝起きてご飯を食べて身支度をして車のエンジンをかける。出勤中、radikoで深夜ラジオをタイムフリー再生しながら、今日はだいたいこんなことをこんな順番でこなしていこうかな、と仕事の優先順位を付けていく。職場に到着してメールに返事をし、8時半以降はこうやって働こう、と脳内リハーサルをくり返して、進行表を固め、始業時間になったら一気に片付けにかかる。だいたいそういう毎日でここ数年やっている。

ところが、最近になって、朝ざっくりと決めた予定が午前のうちに入れ替わっていることが多くなった。ドッカドカ新しい仕事が入るため事前に立てたスケジュールが動く。病理というのは、ほかの医療部門に比べてイレギュラーなタスクが入りにくい部門だと思っていたが、それはぼくが管理職にいなかったからだということがよくわかる。ははーこういうことなのかー、これが社会人の本来の忙しさなんだなー、という感じ。今までは医者とは言ってもどこか「研究者」であり「学者」であった。それが楽だったとは思わないし、脳を鍛えるのに必要な10年だったことも間違いないが、それはそれとして、今は単純にこなしている仕事の絶対量が多い。

リスクマネジメント的に自然と、一日の中に計画的に隙間を作るようになっていた。午前中に30分の猶予、午後に30分の猶予、夕方から夜にかけて30分~1時間の猶予を設けておく。この「遊び」の部分にかからないように通常の診断業務をしっかり終わらせておき、「遊び」の時間になったらいったん仕事の手を休めて、たとえばAI病理診断研究のためのバーチャルスライドチェックをする時間にあてる。朝から晩まで間断なく仕事をし続けない、というのがコツだ。そのようなスケジュールを組んでしまうとひとつのイレギュラーで全体の進行に影響が出てしまう。正確に早く診断を進めることで、一日の中に3箇所くらい、「ピットインするタイミング」を作る。

猶予、遊び、ピットイン。しかしここで休息を取ってしまうと、休息明けの仕事がうまく進まなくなる。そこで仕事で使う論文や教科書を読む、あるいは、AI病理診断研究のためのバーチャルスライド巡回時間に充てる。これらはつまり、いつやっても誰にも迷惑をかけないタイプの仕事であり、時間で切断することも容易である。そして、いざイレギュラーな仕事がガツンと入ったときには、これらの遊びの30分、30分、1時間を「溶かして」処理をする。こうすれば、元からあった仕事を圧迫せず、飛び込みの仕事に比較的素早く対応して解決することができる。なお、迅速組織診などはイレギュラーとは考えず、「レギュラー」として最初から計算しておくのがコツだ。

ところで臨床医はよく「学会シーズン」という言葉を使うが、病理医から見ると「病院内の誰かが常に学会」なので、一年中が学会シーズンである。画像系の研究会などは臨床系の巨大な学会が開催されない時期を見計らって会場を確保するため、夏休み真っ盛りに開催されることが多い。お盆の研究会なんてのもある。すると、「学会や研究会のために病理の解説プレゼンを作る」というのも、もはやイレギュラーではなく準レギュラーとして扱うべきであるなと考えている。自分の守備範囲が広がれば広がるほど、学会・研究会系の相談ごとは増えてくる。他院のスタッフと仲良くすればその数だけ依頼も増えるものだ。日中は自分の病院の業務で手一杯なので、基本的に早朝や深夜にこの「準レギュラー」をこなすことになる。こなした上で、「30分、30分、1時間の遊び」を確保する。

そこまでして確保していたはずの遊びの時間が、午前、午後、夜とすべて溶ける日が多くなってきた。

「難解症例なので病院の垣根を越えて診断に協力して欲しい」とか、「研究計画書を一緒に書いて欲しい」とか、「共同研究先から送られてきた研究への参加条件が難解でよくわからないので病理の部分を相談に乗って欲しい」などの、まさにイレギュラーなタスクに重量を感じる(こういうことばかりしているあちこちの教授は偉い)。そんな中、地味に負担がでかいのはZoom会議だ。メールなら40秒もあれば伝えられることを、決まった時間で15分とか30分、長いときは1時間以上かけてやりとりしなければいけないので、「遊び」の部分が矢のように飛んでいく。

遊びが溶けることで、影響が直撃するのは論文や教科書を読む時間である。病理医というのはそもそも「脳だけで働く」のが仕事であり、本を読むことが業務に直結する。「今日は読まなくてもいいや」が1日あれば、それだけ病院の財産が減ると考えている。「うちの病院ではあの病理医が毎日情報をアップデートしている」ということは病院の資産価値を高めていると思う。イレギュラーな業務で圧迫されるのが「自らの勉強時間」だと、パッと見は患者に迷惑をかけない、それは確かに直近ではその通りなのだが、長い目で見ると、勉強できないほど忙しい病理医というのは将来の患者に迷惑をかける。だから勉強は削れない。しかし勉強するための「遊び」の時間が足りない。ではどうするか。

「他者の勉強にのっかる」しかないのである。本来、勉強するときは、自分が広げたいと思っている領域をガンガン広げていくべきであり、読もうと思っていた本の隣の本も、読みたいと思った論文の一つ下の論文も読むのだけれど、余裕がないときは「すでにその領域を勉強した人が何を最近読んだか」を教えてもらい、そのとおりに後追いするだけで勉強を終えてしまう。これで非常に早くなる。

しかしつまらなくもなる。

でも背に腹はかえられない。

こうして「勉強している人たちがいいと言っていた教科書や論文だけを読む」ようになって2か月くらい経つ。この間、自分で選び抜いた教科書は1冊しか読めなかった。臨床系の本もサイカイアトリー・コンプレックス1冊しか読んでいない。これはつまり自分の仕事のクオリティを保つ限界が来ているということである。このブログを書いている日の前日、ぼくはこの病院に来てはじめて、「スケジュールが合わない以外の理由」で仕事を断った。準備期間が3か月と言われて、どう計算しても無理だと思った。徹夜でやりきることはできたかもしれない。しかし、これから3か月、論文も教科書もまるで読めない状態になって、果たして半年後の自分はまともな病理医で居続けられるのだろうかと呆然としてしまった。ああ、これが、ぼくより20くらい上のエライ人たちが、「忙しいから引き受けられない」と言いながら、土日に家族サービスをやめないでいるのを見て、「年を取ると余暇がないと体力が保てなくなるのだな」としか思っていなかったのは視野が狭かったんだなとわかる。遊びまで調整しないと中間管理職以上の人間はクオリティコントロールしながら膨大な仕事をこなせないのだ。そうだったのだ。知らないことばかりだ。参ったなと思いつつ今日のブログは30分かけてゆっくりと書いた。でもこの時間がないとぼくはもう仕事にならないのである。