2021年9月30日木曜日

病理の話(581) 細胞の見かたいろいろ

「体の中にある病気から細胞をつまんできて、顕微鏡で見る」。これが、一番かんたんな病理検査の説明である。ただし、このとき、見る方法にもいくつかのバリエーションがある。


まず、直感的にわかりやすいのは、細胞をそのまま正面から見ようと試みることだ。つまりは虫メガネで小さい文字を読んだり虫の模様を見たりするのと同じように、人体の細胞だって、超強力な虫メガネを使えばどんどん拡大して見ることができる。皮膚とかね。


でもこのとき、ある程度倍率をあげると、壁につきあたる。「光量が足りなくなる」のだ。狭い範囲をどんどん大きくしていくと、単位面積あたりの光の量が少なくなるので、視野がどんどん暗くなる。そうすると、細胞の細かな情報がとれなくなる。「そこに細胞があるなあ」くらいの観察でよいならば、ひたすら拡大を上げていけばいいのだけれど、細胞の中に詰まっている構造をひとつひとつ見るとなると、光量不足は問題なのである。


そこで、光量をあげ、細胞を見やすくすることを考える。まず、もりもりに積み上がった細胞に、正面から光をあててその反射光を見るという「普通のみかた」をあきらめる。細胞の向こう側から強い光をあてて、細胞内を透過させる。このやり方であれば、光源を強くすることで細胞の内部の情報がとりやすくなる。スケさせた方がいい。反射だと散乱してしまう。


細胞の向こう側からこちらに向かって光を当てると、細胞があまり大きなカタマリになっている部分ではうまくいかない。レントゲンを使えばいいって? それ、見るほうの目がやばいだろう。だから細胞のカタマリを崩す方法を考える。


ひとつは「薄切」だ。薄く切る。ダイコンのかつらむきのように、体内から採ってきた組織をミクロトームとよばれるカンナのおばけを用いてうすーく、4μmくらいに切る。向こうがペラペラに透ける状態になる。これで細胞の断面が見えるようになる。


ただし、断面を見る以外にも方法はある。体内からとってきた細胞を、ガラスの表面に「なすりつける」、これだけで細胞がガラスの上に剥がれ落ちてくる。捺印(なついん)と呼ばれる技術だ。


このやり方だと、細胞は切られない。ガラスの上に極小のマリモがちょこんと載っている状態になる。マリモというか、マリモ同士がある程度はくっついているので、ブドウの房みたいな状態でくっついていることが多いかな。あるいは、剥がれ落ちたジグソーパズルの数ピース、みたいな。


薄く切った場合には、H&E染色という染色で、細胞内の核をハイライトする。


ガラスの上に細胞をなすりつけた場合には、パパニコロウ染色というやつのほうが、ぶっちゃけ見やすい。断面を見ていないため、細胞膜の部分がジャマになる(ブドウの皮がジャマだ)。そこで、皮の部分をあまり強く染めないタイプの染色が使いやすい。


さらにさらに。これを最初に考えた人は偉いというか……むしろ何も考えていなかったのかもしれないな、という方法もある。それは、「ガラスに細胞をなすりつけたあと、処理をせずにしばらく放置して、軽く乾燥させる」のである。ブドウをダメにする。


ダメになったブドウはどうなるか? 水分が抜けて、ぺたっと広がるのだ。すると、残酷なことに、「細胞内の核がべたっと広がって見やすくなる」。細胞本来のかたちは崩れてしまうのだけれど、核だけをしっかり見たいときには、この「べたっと広げ方法」がかえって役に立つ。乾固定という。パパニコロウ染色よりさらに古典的な、ギムザ染色というのを使うことが多い。



こうしてみると、一言で「細胞を見る」と言っても、いろいろ工夫しているということがおわかりいただけるであろう。使い分けは経験的に行うのだけれど、ときおり、「今回はこう観察したほうがいいのでは?」とピンとくることもある。ぶっちゃけぼくはこの14年間で1度だけ、その場で考えた観察法でものすごいスピードで診断をしたことがあるのだが……あまりにレアなケースであり患者の個人情報もりもりなので、ここには書かない。ちょっとだけ情報を出すと、迅速組織診の手法と細胞診の手法を組み合わせて、高速で診断したのだけれど、ま、やめとこう。