2021年9月3日金曜日

前借りのルタオ

目線の先に、「ルタオ」の紙袋がある。これにはずいぶん昔にあるドクターから預かったプレパラートが入っている。「いつか研究会で使うかもしれないので、先に送っておきますね!」と言われた。ぼくは「そのいつかが来たら送ってください」と何度か言ったのだが、相手はいいからいいからと言ってぼくにプレパラートをごっそり送ってきた。紙袋をぐるぐる巻いて、上からクロネコヤマトの伝票を貼って。


案の定、そのプレパラートはいまだに使われることなく、ぼくの向かうデスクの上のほうに積まれたままである。疲れた日に、背もたれに体をあずけてぐっと斜め上を見ると、青い紙袋が嫌でも目に入る。「あのルタオ、まだあるな」というのを意識して、若干ゆううつになる。


いつか返さなければいけないものを持っている状態というのに、ぼくは弱い。


じつは図書館も苦手である。借りたら返すまでずっと落ち着かない。図書館に出かけていって、そのままそこで座って本を読むほうがはるかに好きである。2週間もあるんだからたいていの本は読み終わるでしょう、とか、そういう問題ではない。2週間のうちに読み終わって返却に出向くという「タスク」をストックしたまま生きるのがめんどうである。「借り物の2週間」を過ごすくらいならその2週間でいつもより多めにアルバイトをして、稼いだお金で本を買った方がいい、と思い、大学時代はそのようにして多くの本を買った。あのとき買った本のほとんどは人にあげたか売ったか捨ててしまったが、「だから借りればよかったのに」とは全く思わない。


話は変わるが、いやじつは変わっていないのだけれど、こないだ、原稿を書いてくれと頼まれた。締め切りは10月1日です、と言われた。8月24日に依頼を受けて、26日まで目一杯、3日間考えに考えて、書いたらうまく書けたのでそのまま送ってしまった。締め切りより1か月以上早かった。そんなに早く書かないでください、1か月きっちり悩んで書いたほうがよいものが書けるのですから、あまり急がずにもう少しじっくり取り組んでください、などと言われたらぼくはその仕事を断ってしまうだろうが、幸い、そのような不満は今のところ聞いたことがないので、助かっている。「1か月間、締め切りに終われ続ける自分」を想像するのがきつい。脳に負荷をかけ続けるのがいやだ。これも、なんというか、ぼくの中では、「返さなければいけない本を小脇に抱えている状態」に近い。


ぼくは本職が文筆家ではないのでさほど頻度は多くないけれど、なんらかの文章を依頼されることがある。その依頼が脳を圧迫するのがいやなので、なるべく「依頼が来る前に考えておく」ようにしている。そもそも、「締め切りがない時」は自由に発想できるので、あらかじめ、「今のぼくにどんな文章の依頼が来そうか」をシミュレーションしておいて、何度も何度も脳内で書いておく。そうすれば依頼がきたときに考え始めるのではなく、すでに考えている状態からスタートできるから、3日もあれば方向は決まるし、運が良ければそのまま書き終わる。


書いていて思ったがこの状態は「依頼の前借り」ではないのか? と思ってしまった。借りたくないと言いながら借りているのかもしれない。ここを読んでいる方はとっくにおわかりかもしれないけれど、ぼくが平日に毎日ブログを更新していることは、おそらく、「未来に依頼される文章を書く準備」にはなっている。何度も何度も似たようなことを書いているのはたぶん「将来のぼくのための前借り」なのだろう。あの先生のルタオみたいなもんだ。