日本病理学会のツイッターアカウントが思った以上に硬派で、なんというか、けっこう安心したというか、正直に書くと「肩の荷が下りた」というか、いやまあかつてぼくが勝手に荷物背負ったことがあるってだけなんだけど、ちょっとホッとしたのである。
アカウントができたのは9月3日金曜日のようだ(最初のツイートがその日だし、「2021年9月からTwitterを利用しています」って書いてあるからたぶんそうだ)。
まだ1ツイートしかしてない。
「日本病理学会公式アカウントを開設しました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
#病理医 #病理学」これに800以上のいいねがついて、一気に1600人にフォローされた。すごい。こんな学会アカウントがあるのか。
ぼくがフォローしている人のうち840人は病理学会のアカウントをフォローしているようである(画像下部参照)。逆に言えば、ぼくとフォロー関係にない、さらなる800人が日本病理学会をフォローしているのだからすごい。病理関係者ってこんなにいたんだな。もちろん、必ずしも病理医や病理専攻医だけではないと思うけれど。
かつてぼくがツイッターをはじめたとき、さいしょのモチベーションは、「病理の広報をしたい」だった。運用1,2年くらいで、当初の目標であった「フォロワー数2100人(※当時の病理専門医の人数だったと思う)」を超え、その後、マンガ『フラジャイル』が出ることで、べつにぼくみたいな一個人が病理広報アカウントを名乗らなくてもいいな、というか、むしろそれはイタいな、と感じて、勝手に掲げていたカンバンを下ろした。
でも、心の中でずっと気にはなっていた。ぼくの一挙手一投足が病理医の印象を作るとは思っていなかったが、「病理医」で検索すると必ずぼくの名前が上位に上がる状況には何度も違和感を覚えた。アカウント名から「病理医」を取り除いたことが2度ある。
余談だがこのブログの著者名「ヤンデル氏」というのは、当時、Twitterでヤンデル氏を名乗っていたことの名残である。
今回こうして「日本病理学会公式アカウント」ができたことによる、この、独特の安心感みたいなものはなんだろう。ようやくこれでキャッキャと個人で楽しめるな、という解放の心地がある。いざとなれば病理学会がきちんと何事か言うだろう、そして検索する人も、ただしくたどりつくだろう、という信頼感がある。安心、解放、信頼、これらはまさに今のSNSに必要な要素であり、ぼくはようやくTwitterで安堵することができた気がするのだ。母屋があってこそ、軒先で威勢良く声が上げられる、みたいな心情。
このよろこびがどれだけ伝わっているだろう。日本病理学会アカウントができた日、ぼくに、「ついにできましたね! おめでとうございます!」と声をかけてきた人が3人いた。ぼくはとても感心した。おめでとうございます、の一言を、ぼくは言って欲しかったのだ、と、そのときじわりと感じ入ったのだ。