2021年9月21日火曜日

病理の話(578) 昔の自分の診断をみる

私事で恐縮だが、ある研究をするために、「自分が診断したプレパラート10年分」を一気に見直している。


と言っても、ありとあらゆるプレパラートというわけではない。そんなに見たら大変だ。だって全部で……ええと……年間のべ6000人の患者を見ているとして、プレパラートがひとり平均5枚(生検なら1枚~5枚、手術なら10~30枚くらい、それをならすと、うん、わからん)と仮定すれば、1年で30000枚、10年なら30万枚。プレパラート1枚見るのに5秒としても150万秒、つまり17日と8時間40分かかる。なんだそんだけしか働いてないのかあ。


従って今回見直すのは「ある臓器」の、「ある治療方法をされた患者」だけにしている。これをぼくが全例見直して、結果を確認し、人工知能(AI)にも診断をさせて対決するのだあ!


というわけで見直しているのは2800枚程度のプレパラートである。仕事の合間にちまちま見直して、3週間(営業日にして15日程度)でなんとか全例見終わる予定となっている。これを見ていると、いろいろ、思うところがある。


10年前のぼくの方が、少しだけ「病理診断の中に詳しく解説を書いている」なあと思った。当時、各種の学会で検討されはじめたばかりの項目については、かなり細かく説明をしている。今ならこんなに書かない、なぜなら、「この概念は臨床医もだいたいみんなわかってくれたから」。


しかし、10年間いっしょに勉強してきた臨床医ならともかく、今この内容をはじめて目にした研修医などは困るかもしれないなあ。ちょっと省略しすぎたか。これからまた、少し詳しめに解説を書くかなあ……。




なーんてことをずっと考えているといつまでたっても「振り返り」は終わらない。一つ顕微鏡を見て、昔のぼくが考えていたことをなぞるたびに、5分とか10分といった時間がギュンギュン過ぎ去っていく。ざっと見返しているときに思わず見逃した細胞を、昔のぼくがきちんと見ていて、「あっ……やべ、気を抜いたらだめだな」と背筋を伸ばしてまた見直したりもする。



病理医が成長によって、年を経ることによって、「診断がだんだん変わる」というのは決していいことではない。しかし、時代ごとに臨床医から求められる項目が変わっている以上、普遍的な部分はぶれず、フレキシブルな部分には柔軟に対応を変えるというのも、病理診断報告書を書く者の勤めではある。



……そして結構ハラハラする。まさか誤診とかしてないよな……。昔の標本を見直すときはいつも心のどこかに「もし間違った診断を付けていたらどうしよう」「見逃していたらどうしよう」「過剰な診断をしていたらどうしよう」という気分を住まわせる。逆にいえば、現在進行形で見ているプレパラートに対しても、ぼくらは常に、「10年後の自分が見直しても安心して同意できるような診断を書くんだぞ」と、言い聞かせていなければならないと思うのだ。