「おちつけ」のピンバッジと「騒ぐと損」のキーホルダーとをデスクの横にかざっている。これらを見たからと言って、落ち着けるわけではない。そんな御利益はない。
ただし、「これらを見る、というムーブを思い出す自分」であれば、すでにそれは比較的落ち着いているということだ。
あれよあれよと移り変わっていく仕事の激流の、中州で孤立しているときにふと、「デスク横にこんなものを飾ってみた日もあったな……」と、自分の出演する動画の「時間軸バー」を戻す余力さえあれば、自分の力でなんとか落ち着きを取り戻すことができる。
「おちつけ」と「騒ぐと損」の向こうには、ROROICHIさんのボールペン画や幡野広志さんの写真が飾ってある。これらはいずれも、顕微鏡を見て考えるときにぼくの目が思わず泳ぐ先に配置してある。目の前が暗くなるほどものを考えているとき、光と影の正体をなんとなくわかっている人によって作られた視覚の魔法が視界に紛れ込むことで、交感神経の興奮はそのままに、副交感神経も活性化する。なんとも形容のし難い、ありがたい状態。天秤を天秤ごと持ち上げてしまうような。
自分を落ち着かせるためのセッティング。デスクトップの背景、スマホのロック画面のイラスト、これらにこだわっていたころもあった。でも、モニタの中に興奮したり困惑したりしながらさらにモニタの中で癒やされるというのは、ぼくはどうもあまり得意ではなかった、というか向いていなかったようで、いつしか、電脳の守備範囲外にアクセントを置くやりかたになっていた。カレンダーもそうだ。サボテンもそうだ。ふと、こういうのを本当の意味でのメタバースと呼ぶのではないかという気がした。ネットワークの喧噪に浮かれた人たちは、最近、「現実にも存在している仮想現実」を忘れているように思う。インターネットの中にしかイメージを転がすヒントがないなんて、それはわりと見識の狭い話だとは思わないか?