ある臓器が、手術で採られた。
そこには「がん」が含まれている。われわれ病理医はそのがんを見て診断をする。
このとき、「がん以外の部分」もちゃんと見るのが大事だ。そこにも情報があるからである。
たとえば、胃がんで採ってきた胃を見ていると、がんのないところには「腸上皮化生」と呼ばれる変化がみられることが多い。
また、肝臓がんで切除された肝臓には、「肝炎」という変化が認められることが一般的だ。
肺がんの場合、患者がタバコを吸っていたケースでは、がん以外の部分の肺も真っ黒になっていることがある。これはなんとなく想像がつくだろう。
では、このような、「がんの隣」を見て、胃がんの「原因」は腸上皮化生だと、肝臓がんの原因は「肝炎・肝硬変」だと、肺がんの原因はタバコだと、断言してしまっていいものなのか?
これがじつはとても難しい。
まず、肺がんの原因としてタバコは重要な因子のひとつである。しかし、ご存じかもしれないが、タバコを吸っていない人にも肺がんは出現する。特に、肺腺癌と言われるタイプのがんはタバコとはあまり関係がない。
もちろん、タバコを吸っていた人が肺がんになると、「あータバコのせい『ってことも』あるだろうな……」とは(ぼくも正直)思う。
でもタバコはあくまでひとつの因子に過ぎない。
ちなみに、顕微鏡で見たときに、タバコを長年吸っていた人の肺がいつも真っ黒であるとは限らない。コナン君的に、「あっ、おじさん、タバコ吸ってたでしょ」と指摘できるわけではない。「肺の色を落とすしくみ」が強い人の肺だと、長年タバコを吸っていてもたいして黒くなかったりする。
じゃあそういう人はタバコ吸ってもがんにならないのか、というと、タバコを長年吸っていたけど肺はきれいです! という人にも肺がんは出現する。きれいになればいいってもんじゃないようなのだ。
なんかめんどうなことになっているだろう?
「肺が真っ黒だから、タバコのせいで、肺癌になったんだ!」なんて、それほど簡単に言えるものではない。
次に、肝臓。こちらはさまざまな研究によって、「肝炎が肝臓がんの原因になる」ということがほぼ証明されている。
ただし、顕微鏡で見たときに、肝臓がんのとなりにいつも「炎症」が見られるとは限らないので、またむずかしい。
正確には、「過去に炎症で痛めつけられていた肝臓には、がんの発生のリスクがある」ということだ。なので、とっくに炎症がよくなってしまっている、炎症を過去のことにした肝臓にがんが出ることもある。そういうときは、いくら顕微鏡で肝臓をみても、炎症の痕跡がちょっとしか残っていなかったりもする。
「肝臓がんのときは、かならず、まわりの肝臓に炎症や線維化がある」と言えたら、単純でわかりやすかったのだが……。
時間軸のどこかで炎症があれば、がんになるリスクがある。うーん、となると、ある一瞬を顕微鏡で見ても、「がんの理由」はわからないかもしれないのだ。
そして胃。胃がんの原因のひとつには、「ピロリ菌」がある。このピロリ菌はけっこう重要な被疑者だ。たいていの胃がんはピロリ菌の影響で発生してくる。
そして、最初に書いた「腸上皮化生」もまた、ピロリ菌の影響であらわれる変化である。
何を言っているかというと……そうだな、ピロリ菌を「地元のヤクザ」にたとえよう。
地元のヤクザは地上げをする。商店街で長く頑張っている老舗のラーメン屋をつぶしてビルを建てようとたくらむ。ラーメン屋はつぶれて、新しくこぎれいなビルが建つ。これが腸上皮化生だ。
で、これとは別に、おなじヤクザが、となりのビルにチンピラを送り込んで、そこにアジトをかまえる。これが胃がんである。
ヤクザがいるだけで、地上げはおこるし、チンピラも棲み着く。これらは同時に起こる。
胃がんと腸上皮化生とピロリ菌の関係もこれに似ている。ピロリ菌というヤクザがいるおかげで、地上げ(腸上皮化生)が起こり、チンピラのアジト(胃がん)もできる。
我々が顕微鏡で胃がんを観察して、となりに腸上皮化生があるからと言って、
「あっ、腸上皮化生からがんが発生したんだな!」
と診断したら、それは間違いだ。腸上皮化生とがんとは、それぞれ、共通のヤクザによる異なる結果なのだから。
このように、顕微鏡を見て、「がんのとなりにあるもの」を見て、それが原因だと決めつけることはできない。「放火犯は火事の現場を見に来ているはず」というのはミステリじゃなくても思い込みである。ただ、じっさいに、がんの原因が周りにあるかもしれないから難しい。見た! わかった! とはなかなかならないのが医学研究である。