the pillowsやLOSTAGE、ZAZEN BOYS、どれが出てくるかと左手でまさぐったら、最初に出てきたのは東京スカパラダイスオーケストラであった。CDを車にセットしたところで信号が青になり、カーブを一つ曲がったらETCレーンがあって、あとは高速道路でひたすら千歳に向かって走る。
早朝の高速道路には、思ったよりも車が多くて、ぼくは少し控えめな気分になって、二車線の左側をゆっくり走った。80キロ制限なら80キロ、100キロ制限なら95キロくらいのスピードで。急いでもしょうがない。あわててもしょうがない。本当に心の底からそう思える年齢になった。
スカパラはいい。久々に聴いたが、じつにいい。ぼくは機嫌がよくなった。「爆音ラブソング」のギターやベースなど、最高だ、と思う。
スカパラなのだから金管楽器を聴けばいいのだろうが、ぼくはひそかに、スカパラの「弦とドラムス」が好きなのである。
はるか昔に一度だけバンドを組んだことがある。22歳くらいであった。まだ物心がついていなかったころのこと。当時のメンバーの顔も名前も忘れてしまったが、ドラムス担当の三上だけはよく覚えている。彼は「幼稚園からの、一つ下の後輩」だ。幼稚園時代に先輩後輩の関係なんてない。でも、彼は小学校時代、ぼくが入っていた剣道チームにいた。そのあたりでいちおう先輩と後輩だよねという関係になった。
中学高校とまるで連絡しないままだったのに、大学時代、三上は突然ぼくの目の前にあらわれて、バンドをやりませんか、と声をかけてくれた。なぜ楽器も弾けないぼくを誘ってくれたのかはわからない。
彼はギターとベースを連れてきてぼくに引き合わせた。さあ、何の曲をやろうか、とたずねられたときに、さほどバンドミュージックに縁のなかった僕は無邪気に「ジュンスカとか?」と言った。するとギターとベースは揃ってぼくを笑った。「スータートー スータートーってやつだろ(笑)」。「バンドとは名ばかりのJ-POP」を彼らは鼻で笑った。ぼくはそこで恥ずかしくなってしまい、バンドの話もいったん立ち消えた。
しかしなぜか三上はあきらめなかった。そのときぼくを笑ったギター・ベースとは違うやつらをあらためて連れてきて、演奏する音楽も三上が考えて、ぼくにCDを2枚渡して、これを歌えるようになってください、と言った。それはデスメタルの「SLY」というバンドで、ぼくは目を白黒させながら英語の歌詞を覚えた。
今思い出しても三上のドラム演奏はうまかった。ギターとベースのことはよく覚えていない。一度だけやったライブのあと(確かススキノ交差点の東のほうにあったライブハウスだ)、4人でご飯を食べた記憶がうっすらとあるが、何を話したのかも、その後どうなったのかも全く覚えていない。
話は前後するが、大学2年のとき、つまりは20歳くらいのころ、高校の剣道部の同期が、横浜の大学に通っていて、ぼくは剣道の大会の後に、もう一人の友人と共に彼の家を訪ねて行った。関内の駅から15分以上歩いたところに彼の借りている家はあった。駅からの道すがら、工事現場の壁にでかでかと、「First love」のジャケ写が貼ってあって、ぼくは「あの鼻の目立つかわいい女の子はだれか」と友人に訪ねた。友人は「あれが今はやりの宇多田ヒカルだ」と教えた。都会のタワレコで札幌のぼくよりはるかに多くの音楽に触れていた友人はその後、ドラゴンアッシュやUAのことを矢継ぎ早に語り、ゆらゆら帝国やNumber Girlを聴けと言った。
それから2年後にたった一度だけバンドを組んだぼくは、それっきり二度とバンドを組むことはなかったが、耳はすっかり「バンド仕様」になっていて、横浜の友人に教えてもらったゆらゆら帝国やNumber Girlを思い出し、そこから芋づる式にスパルタローカルズ、Goind under ground、DMBQ、エゴラッピン、ACIDMANなど、フェス系、スペースシャワーTV系のバンドミュージックを聴き漁るようになった。それまで聴いていたB'zやミスチル、GLAYなどの王道J-POPからは足が遠のき、演奏が荒っぽかったり編曲がなかったりする音楽を好んで聴いた。今にして思うと、SLYから入ったのにメタルにはぜんぜん手を出していないのが「かわいいな」と思わなくもない。たぶんデスメタルは刺激が強すぎた。
跳躍伝導のように話題を飛ばす。32歳のころにTwitterをはじめたぼくは、「病理医ヤンデル」の前に作ったアカウントで、bloodthirsty butchersの故・吉村秀樹が酔っ払ってツイッターで出したクイズにリプライで答え、誰よりも早く正解した。酔っ払った吉村秀樹はDMでぼくから住所を聞き出し、butchersのコースターをぼくあてに送ってくれた。11年ツイッターをやっていて一番うれしかった思い出は間違いなくそれだ。
断片的にバンドのことを考えているうちに新千歳空港についた。空港までの運転程度では、人生をまともに振り返ることもできない。切れ切れの思い出たちが今のぼくを見て腹を抱えて笑っている。帰りの高速ではthe pillowsを聴こう。