2022年4月12日火曜日

流用型人生

お気づきだろうがぼくはこのブログで「病理の話」と「それ以外」とを交互に書いている。

昨日は病理の話だったので、今日は「それ以外」の日だ。そして明日はまた病理の話。


ただ、明日更新の「病理の話(646)」は、もともとは病理の話としてではなく、「それ以外」として書いたものだ。書いている途中で、これって病理じゃん、と気づいて、タイトルを病理の話に切り替えて、公開日を1日伸ばした。


こういうことがたまに、というか、頻繁に起こるようになった。




かつて、テレビを見ていて、職人や芸術家が出てきてインタビューをされるたびに、不思議に思っていた。「こいつら、仕事とか芸術の話しかしねぇけど、プライベートに楽しみとかないんかな? ディズニーランド行ったりマンガ読んだりしねぇのかな? ずっと本職のことしかしゃべってないが……」

すると家族や友人たちはいつも笑いながら言った。「いやインタビューだからでしょ。そういう話を聞きたいテレビマンがやってきて、そういう話題を振っているからでしょ。」

でもぼくは納得できなかった。

「こいつら、朝から晩まで仕事のことしか考えてないんじゃないか? いくら仕事のことをたずねられても、ふつう、もう少し『地』が出てくるものじゃないのか? 骨の髄までワーカホリックなんじゃねぇの? ぼくはどれだけ仕事が大事でも、こうはなりたくねぇな」




そして今、日常の話を何気なくブログに書いているうちに、それが仕事(病理)の話と接続されるような中年になっている。おっ、これかあ、と驚き、そして少し納得している。



日常の話のあれこれが、仕事で用いる理念・観念と接続する。これは、ぼくの脳が、気づかないうちに「仕事を精度高く、効率よく回すために、思考回路が最適化してきている」からなのだと思う。

プロのカメラマンが、どういう画角・距離感でモデルを撮影するといい写真が撮れるのか、どういう光源を用意してどの角度から光を当てるとモデルの姿をより印象的に撮れるのか、撮り終わった画像をどう編集するとよりニュアンスが伝わるのか、といったことを体にしみ込ませていくのと同じように、ぼくは、どういう角度・距離感で目の前にある情報を切り取るべきなのか、どこを強調してどこを深掘りするとより情報が深く理解できるのか、取得した情報をどのように組み換えると他の人とニュアンスが共有できるのか、といったことを、病理診断という仕事を通してずっと実践してきた。

すると、仕事外にも、その「切り取り方」や「光の当て方」、そして「編集方法」というのは自然と流用される。同じ構造を違うものごとにも自然とあてはめているのだ、なぜなら、ぼくの脳は1個しかないから。



「いつも仕事のことばかり考えている」というのは、正確ではない。

「いつも仕事のときと同じように脳を使っている」のだろう。

だから、日常の話を書いていたはずが、思考の様式が似ているためについ病理の話と接続してしまって、最終的に、「これ、診断するときに考えていることと似ているなあ。」みたいなことになるのである。



なんとなくだけど、ぼくがブログをはじめた際に、「病理の話」と「それ以外」を交互に書こうと思った理由は、脳に別の回路、別の様式を導入し続けたかったからではないかと思う。でも、結局こうして、「それ以外の話が病理の話とどこかつながっている」みたいなことになっている。ちゅ、ちゅ、中年~~!! って感じ。