2022年7月12日火曜日

病理の話(676) いきなり治療は学べない

「異常を知るためにはまず正常を知らなければいけない」というのは、おそらく、大学に入った医学生がさいしょに習うことのひとつではないかと思う。


医学生の多くは「患者を治すため」に医学部に入る。あえて「多くは」と書いたのは、全員が必ずしもそう思っているからではないからだ。「勉強ができるから医学部に入った」というパターンもある(はっきり言うがそれもまたすばらしい動機である)。ただし、そういう人であっても、「まあせっかく医学部に入ったんだし、患者を治すこともするよ~」くらいのことは考えている場合が多い。


で、医学部では人を治すことを教わるはずだと思っていると肩すかしをくらう。「治療学」にたどり着くまでにやることがすごく多いからだ。なんなら真の意味で治療を学ぶのは医師免許を取ってからである。医学部6年間のうちは、ひたすら、病気を知ることに精魂を注がなければいけない。そして、病気を知る準備として、医学部生活の序盤は、「正常の人体」を学ぶことであっという間に過ぎ去っていくのである。




ここで、膵臓(すいぞう)という臓器の話をする。

膵臓は、だいじに使えば高齢になってもほとんど劣化しない臓器だ。しかし、暴飲暴食によって痛めつけられると、文字通りボロボロになっていく。最初は「しっかりと実の詰まった」状態だが、ダメージを受けるとだんだんスカスカになって、スキマの部分に脂肪が入り込んで穴埋めをするようになる。

膵臓がダメージを受けるというのはいわゆる「膵炎(すいえん)」を指す。ただし、お腹や背中が痛くなる膵炎をがっちり発症せずとも、長期的にお酒を飲みまくるなどマイルドにダメージを受け続けると、やっぱり膵臓の中身が削られていって、代わりに脂肪が増えていく。

実際の色は違うが……「赤身」だったマグロが「大トロ」に変わる(間に脂肪が入り込む)、くらいの変化が、膵臓には起こり得る。

その様子は、超音波検査などで知ることができる。超音波検査というのはコウモリやイルカが洞窟や海の中で障害物の位置を検知するのと同じように、端触子(プローブ)から超音波を出して、臓器に当たって跳ね返ってきた音波を解析することで、そこに何があるかを調べる検査だ。このとき、膵臓の「実が詰まった」状態と、「間に脂肪が入り混じった」状態では、超音波の跳ね返り方が違うために、模様が変わって見える。



で、だ。



膵臓の機能や、膵炎の評価をする際に、超音波をあてて検査をすると、あることに気づく。

それは、「膵臓は場所によって超音波検査の見え方が異なる」ということだ。

異常でなくても。正常の膵臓の中も微妙にバリエーションがある。

そのことを知らないと、膵臓の一部を見て、「あっ、ここは軽い霜降り状になっているぞ。膵炎だ!」などと、勘違いをしてしまいかねない。

「正常」を知らないと、「異常」の判定ができないというのは、そういうことである。



先日、ある超音波検査士から質問を受けた。

「腹側膵(由来の膵臓)と、背側膵(由来の膵臓)では、超音波の見え方が違いますよね、あれってなぜなんですか?」

超マニアックな話なのでどういうことかは(読者の皆さんは)わからなくていい。ただ、膵臓が場所によって違って見えるよね、という話をたずねてきた、ということだ。

この質問に答えるために、ぼくは、「組織学」の教科書を2冊と、「病理学」の教科書を1冊、そして「内科学」の教科書を1冊、あと「超音波検査」の論文を4本読んで証拠を調べた。

正常の膵臓でも起こっている変化と、異常(病気)の膵臓にみられる所見とを見比べて、違いをあきらかにすることまでやっておいたほうがいいだろう、と思った。だからいくつもの参考資料を……「正常」が書いてある本・論文と、「異常」が書いてある本とを両方参照した。

うまく質問に答えられそうな資料を揃え終わって、パワーポイントで解説スライドを作っている途中に、ふと思った。



「異常を知るためにはまず正常を知らなければいけない」し、

「正常を理解する上で異常を引き合いにだすとわかりやすい」なあ。

どちらかだけ知ろうと思ってもだめだ。

医学生がいきなり「治療」だけ学ぶことができないのと一緒だなあ。