2022年7月14日木曜日

病理の話(677) アナログのもろさを回避する

顕微鏡を使って細胞を見れば何もかもわかるなどというのは、幻想だ。

いろいろな困難がある。

たとえば、客観性を保つのが大変だ。「誰が何度診断しても、同じ結果になります。世界のどこで診断がくだされても、同じ診断になります」とならなければいけない。

「それはあなたの感想ですよね」と言われてはいけない。

ではどうするか。教科書の言う通りに診断すればいいだろうか? エライ人の言う通りの「所見」を探して顕微鏡を見ればいいだろうか?


いや……「見て考える」ときの主観は、そうカンタンには排除できないのだ。




たとえば、細胞を見やすくするための染色、H&E染色のことを考える。

染色とはすなわち染め物である。細胞を顕微鏡で見るときは、核や細胞質が見やすくなるように人工的に色を付ける。このとき、じつは、染色の「加減」によって、核の色を薄くすることも濃くすることもできる。

ところが細胞診断においては、「核の色が濃いから『がん』ではないか」といった評価も行う。すると、とうぜん、このような疑念がわく。


「細胞を濃い目に染色したら、なんでもない細胞でもがん細胞っぽく見えてしまうのでは?」


大正解である。濃いめに染色したH&E染色は、第一印象で細胞が「がん」に見えやすい。

ではそのような「誤診」を病理医はどうやって回避するか?


「色が濃い・薄い」のような、染色の程度によってどうとでもなってしまうような基準「だけで」診断をすることを避ける。


たとえば、核の形状が丸いか、少し角張っているかを見てみよう。輪郭は「色の濃さ」とは関係しないから、染色の度合いには左右されずに判断することができるだろう。

また、核のサイズにも着目するといい。実測すればなお確実だ。4マイクロメートルくらいの核と、20マイクロメートルくらいの核では、後者のでかいほうが、「細胞のやばさが強い」と考えられる。


ただし、これらの基準も、あくまで「併せ技」で見ていくことが望ましい。「核のサイズ」だけに頼っていると足下を掬われる。たとえば細胞を採取したときの状態が「少し乾き気味」な場合と、「ウェットなまま」な場合とでは、細胞のちぢみ具合(?)が変わるので、核のサイズにも変化が出る。核の輪郭を見る場合も、プレパラート上に乗った細胞の「厚さ」(※薄切の厚さ)によって、見え方が変わってくることを知らなければいけない。


病理医は、本当に、「油断するとすぐに主観的になる」。さまざまなダマしを乗り越えて、常に安定したクオリティで、確たる診断をしなければいけない。そのためには、細胞を見るときに「自分がどれだけアナログな感覚に頼っているのか」を自覚して、理屈でそこを回避する必要がある。できれば、その理屈は、すべて言語化しておくことが望ましい。言葉にするというのはほんとうに、客観的に何かを考える上では必須と言える技術だからだ。まあ、言葉にすればいいってもんでもないんだけどね。