内視鏡医(胃カメラや大腸カメラを得意とする内科医)の出る勉強会によく出る。
どういう勉強をするかというと……基本的にこういう流れだ。
1.その日の当番に当たった内視鏡医が、おのおの、胃カメラや大腸カメラで撮影した写真を持ち寄る。
2.発表者は、写真をみんなに見せつつ、最低限の説明だけして、あとは黙る。
3.勉強会に出席しているひとたちは、写真をみながら口々に考えを述べる。
「ここに病変がありそうだ」
「色調の差がここにある」
「ここで盛り上がってここでへこんでいる」
「拡大をあげると表面の模様がこのようにおかしい」
「だからこの病変は○○癌だ/△△病だ/じつは正常だ」
4.ある程度議論が進んだら、発表者が「では答えにうつります」と言う
5.その病気をどうやって治療したかを解説したあとに、病理医が出てきて、「病変を顕微鏡で見たらどうだったか」を解説する(=病名が決まる)
6.みんな納得する
7.あるいはみんな納得せず、「○○病だって!? じゃあなんで胃カメラであんなふうに見えたんだよ!」と炎上する(勉強会に出てくる症例だから、誰が見てもわかるような写真ではなく難しいことが多い)
8.理論で火消しする
まあこんな感じなんですわ。
で、この勉強会、ほんとうにいろいろなパターンがあるのだけれど、ぼくが出席するやつは基本的に「ぼくが病理の解説スライドを全部つくる」ことが多い。あたりまえだ。病理の説明は病理医がやるに限る。
しかし、中には「わりとゆるふわで、あまりカタいことを言わず、毎週みんなが楽に参加できることを目標とした会」もあって、そういうときは、症例を選んだ内視鏡医が、顕微鏡の写真も用意してきてくれる。ぼくの負担が減るように、という心遣いなのだ。
そして「内視鏡医が取る顕微鏡写真」は、たいてい、どこか「違う」のである。その違いをきちんと認識するとおもしろい。病理医が何を気にしていて、内視鏡医がどこに興味があるのか、それらが微妙に異なっていることがわかるからだ。
たとえば、内視鏡医が病変の顕微鏡写真をとるときには、「病気のど真ん中」を拡大して写真を撮って下さることが多い。
これは……例えていうならば……。そうだな。
えー、渋谷のスクランブル交差点の真ん中で、ヤクザの運動会をやっています。玉入れとかしている。そり込みリーゼントタトゥーくわえタバコの男達がひしめきあって、カゴに玉を投げ入れている。パッと見、「やべぇ」とわかる。周りの人たちは遠巻きに震えています。
ここで、ヤクザの中心部をクローズアップして写真をとると、「そり込み」とか「リーゼント」とか「イレズミ」などによって、それがヤクザだということはすぐわかるだろう。
……内視鏡医はそう思って、中心部を写真に撮ってくれているわけです。しかし、毎回これだと、「わからない」ことがある。
たとえばヤクザが今のような「古典ヤクザ」ではなくて、もう少し市民に擬態しているというか、振り込め詐欺とかマネーロンダリングなどの「インテリヤクザ」だとしたらどうだろう。
基本みんなスーツを着ている。多少、サングラス率が高い印象はある。しかしそのスーツがわかりやすい白スーツではない。わりと普通の、あるいは少しお高めのやつだ。
そういう人たちが玉入れをしているところを「クローズアップ」してしまうと……。
スーツ姿のおじさんたちにしか見えない。
こういうときは、コツがある。
人が集まっている中心にファインダーを向けるのではなく、へりの部分にピントを合わせるのだ。ヤクザが周りの一般人たちとどのように絡んでいるか、さらには、「周りの人たちとくらべて見た目が浮いていないか」を調べるのである。
中心だけをクローズアップしていると、「悪さ」があまりはっきりしないのだが、へりの部分では、通り過ぎる一般市民にこっそりケリを入れていたり、そこまでしなくともガンを付けていたり、あるいは、もっとふわふわした印象なのだけれど目つきが異様に鋭かったりする。
この「目つき」は、周りの一般市民と比べることではじめてわかる感じだ。そこだけ切り取られても雰囲気が伝わってこない。
話を病理解説に戻そう。内視鏡医たちは、いや、あらゆる臨床医たちは、「病理医が顕微鏡で病気を見ている」と言うと、おそらく頭の中で、「病気の中心部を拡大している」とイメージしている。しかし、病気の細胞が満ち満ちている真ん中を拡大して得られる情報は、(少なくはないが)言うほど多くないのだ。それだけで診断をするのはじつは難しい。「病気のへりの部分、あるいは正常との境界部分」を観察することで、誰が見てもわかる正常細胞との違いを比べて物を言うことができる。
あーそうだなー長々と説明してきたけど。
物の大きさを説明するときに、横にタバコの箱を置くとか、500円玉を置くとか、あるじゃない。「比較対照」を置く。あれ、客観視するためにとても大切なことなんですよね。病理医もよくやる。