2022年8月23日火曜日

病理の話(690) 珍しいというための資格

ある患者の体の中にできたカタマリを手術で採ってくる。それを病理医がナイフで「切り出し」て、臨床検査技師がプレパラートに仕立てて、ふたたび病理医が顕微鏡で見る。そうやって観察できるミクロの風景を「組織像」、あるいは「病理組織像」などと呼ぶ。

この組織像を元に病理医は病理診断をするわけだ。そして、組織像のほとんどは、「教科書に書いてある」。

病理医は大量の教科書を持っている。それは臓器ごとにまとまっていて、胃の病気なら胃の教科書、肝臓の病気なら肝臓の教科書というように、たくさん参照先がある。病理医は顕微鏡を見ながら、「この組織像ということはこの病気だな」と、絵合わせをして病気の診断を付けていく。

これは肺の小細胞癌だな、こちらは肝臓の細胆管細胞癌だな、これは皮膚の悪性黒色腫だな、こっちは乳腺の浸潤性小葉癌だな……。

全部違う教科書を使う。病気の分類を行い、それらがどれくらい体の中で広がっているかを検討する。



さて、病理医を長いことやっていると、まれに、「教科書に載っていない病気」に出会うことがある。ただし、病理医経験が4,5年目くらいまでは、「教科書に載っていない!」というのはたいていウソ、というか知識が足りないだけで、その人が十分に界隈の教科書を調べきっていないだけであることが多く、上司に「すみませんこの病気見たことないんですが……」と泣きつけば、たいてい、マニアックな教科書や論文のどこかからか該当する病気を探し出してくれる。

そのうち、病理医経験が15年くらいになると、本当の意味で教科書に載っていない病気と出会うようになる。そういうときは、胃なら胃、肺なら肺、肝臓なら肝臓の病理を専門に研究している「コンサルタント」に連絡をとる。日本病理学会という団体は、臓器ごと、病気ごとのコンサルタントと連絡をとれるシステムを格安で整備しており、日本全国どの病理医も、病理学会に2000円払えばその筋の専門家に相談できるようになっている。

専門家にプレパラートを送って見てもらう。すると、たいてい2~3週間くらいで、「非常に珍しい病気ですが、これまでに世界で20報ほど論文が出されています。」みたいな説明をもらえる。どれだけ珍しくても世界のどこかではたいてい報告がある。コンサルタントを務めている人たちは、そういう「珍しさの尺度」を相談されることに慣れている、一流の病理医ばかりだ。




肌感覚で言うと、病理医は、通常の医者が出会う患者のおよそ10~20倍くらいの数の患者と出会う。患者と会話をせず、患者から採取されてきた検体だけを相手にしている仕事だし、さまざまな科が採取する検体を一手に引き受けているのだから、病理医が経験する患者の数が多くなるのは当たり前だ。

このため、臨床医が「これは珍しい病気だ!」と感じる感覚と、病理医が「これは珍しい病気だ!」と感じる感覚にはズレがある。ふつうの医者が生涯かけて1回も出会わないような病気であっても、病理医は普通に経験する。臨床医が「めちゃくちゃ珍しい病気ですよね、これ!」と興奮していても、病理の教科書をたんねんに探すとたいてい記載がある。だから、珍しい病気に遭遇した臨床医は、教科書を借りるために病理の部屋を訪れたりもする。

病理医が「珍しい!」と思うような病気は本当に珍しい。しかし、どんなに珍しい病気であってもコンサルタントと相談しながら過去の論文を探すとたいてい報告がある。「この病気は世界ではじめて私が見つけました!」というのは99.99%、「論文の検索のしかたがヘタクソで、過去の報告を見逃しているだけ」だ。学会で「珍しい病気を見つけました!」と報告をしたはいいが、会場にいるベテランの病理医から「私はそれと同じものをこれまでに3回見たことがあるよ。論文にもしているよ」などとツッコまれて赤面する、なんていうシーンもたまに目にする。でもまあそういう恥はかいたほうがいい。病理医は「珍しさの度合い」を確認するために、ありとあらゆる手段をとるべき職業だ。珍しいものを珍しいと言えるのは、大量の症例を経験する病理医だけに許された特権のようなものであり、珍しさについてはとことんストイックになるべきなのだ。そして、珍しい珍しいと喜んで終わりにしてはいけない。その珍しい病気に苦しむ患者のために、「珍しいなりにも分類できるポイント」を探し当てて、適切な治療に結びつけてこその病理医なのだ。