2022年8月29日月曜日

病理の話(692) ポアロとホームズの違いみたいなものである

今日はねー、エルキュール・ポアロとシャーロック・ホームズの違い、みたいな話をするよ!


と言いつつ、いきなりだが皮膚科の話をはじめる。


皮膚科医は、皮膚にあらわれた発疹をみて、なぜそうなっているのか原因を考え、治療を選ぶ。

発疹にはさまざまなパターンがある。いわゆる「ブツブツ」のこともあれば、「赤くなってる」パターンもあるし、ぷくっと水ぶくれになっていることもあるし、なんだか熱っぽくなって下の方がコリコリ硬いこともある。

これらの発疹は、なんらかの「病因」(つまり病気の原因だ)があって引き起こされる。つい堅苦しく書いてしまったけど、皮膚に限らず、どんな病気にも言えることだ。高血圧にも、逆流性食道炎にも、心筋こうそくにも、がんにもさまざまな病因はある。

ただ、皮膚の場合は、そこに起こっている現象が「直接見やすい」というのがポイントだ。ほかの病気では、そうはいかない。

高血圧の現場を直接みることはできない。逆流性食道炎も胃カメラを使わないと観察できない。心筋こうそくだって、がんだって、体の内部で起こっていることだ。

しかし、皮膚だけは違う。発疹は、外から何が起こっているかをそのまま見ることができる。

この差が診療にかかわる。


一般的な内科医や外科医が病気を診断する場合は、「内部で起こっていることを間接的な手段を用いていかに推測するか」が求められる。なにせ、患者と会話して外から手で触れて診察しているだけでは、病気そのものを見られないのだから、いかに会話の内容から中で起こっていることを推理するか、いかにうまく診察をして指先に触れるものからヒントを得るか、いかに血液検査や画像検査で病気を浮き彫りにするかがポイントになる。

これに対し、皮膚科医は、「そこにあるものをいかによく見るか」という技術が重要だ。えっ、直接見られるなんて簡単じゃん、ではない。実際にやってみればすぐわかる。

ミクロの世界で起こっている無数の現象が積み上がってできた、「複雑な現象を足し合わせたなれの果て」である発疹をみるというのは、たとえば、森を見てそこに住む虫や木の異常を見抜くことに似ている。情報があればあるだけ迷うのだ。振り回されるのだ。わけがわからなくなるのだ。「全部見えるからこそ悩む」という観点は、一般的な内科医にはなかなか理解されづらいかもしれない。逆にいえば、一般的な内科医が発疹を皮膚科医ほど上手に診られない理由もそこにある。「見えてるものが教科書で見たこの写真に似ているから○○病だろう」みたいな雑な推理では、「発疹を見た」ことにはならないのだ。


ぼくは内科医と皮膚科医の診断学の違いをエルキュール・ポアロとシャーロック・ホームズの違いになぞらえる。

エルキュール・ポアロは、いわゆる「安楽椅子探偵」で、イスに座ってパイプをくゆらせながら、ヘイスティングスやジャップ警部が持ってきた証拠を頭の中だけで……「灰色の脳細胞」を使って考えて事件を解決する。実際には見てないんだけど、適切な証拠集めをしてくれる仲間の情報を総合して、あたかも現場を見ているかのように真実にたどり着く。その姿はあたかも内科医のようだ。

これに対し、シャーロック・ホームズは、とにかく「めざとい」。ホームズのもとを訪れた客の身なりを見て、どのようなルートを通ってベイカー街を訪れたか、どんな職業の人物かなどを立て続けに当ててしまうが、これは「きちんと見て論理を積み重ねる」ことによるものだ。さらに、ホームズはワトソンと一緒にしょっちゅう現場に出向く。探偵といえば虫メガネ、のイメージはホームズによるものだろう。他の人が見落としてしまうような些細な、あるいは、「理屈をもって見ないとそれが異常であることに気づけない」ようなことを見つけ出して推理の足しにする。この姿は皮膚科医に似ているとぼくは考える。




さて、今日の話はこれで終わりでよいのだけれど。皮膚科医はときどき「皮膚生検」をする。その話もしておこう。

皮膚を小さくつまんできて、プレパラートにして、病理診断をする。表面から見えたものだけでなく、組織を拡大して細胞レベルまで見てみようということだ。この病理診断はとうぜん病理医が担当するのだが、じつは、皮膚科医の多くは皮膚病理にも精通していて、なんなら病理医よりも皮膚の顕微鏡像に詳しかったりする。

顕微鏡検体を採取するときに病変全体を丁寧に眺めている皮膚科医と、採ってきたモノだけを顕微鏡で眺めている病理医とでは、病変に対する思い入れが違うというか、見る際の視点みたいなものが違っている。では、皮膚生検は皮膚科医がみればよく、病理医はぜんぜんかかわらなくていいかというと、これがそうでもないのでおもしろい。

病理医には他の臓器の顕微鏡像を見まくっているという「強み」があり、外から皮膚を眺めただけでは気づきづらい、細胞レベルでしかわからない変化を皮膚科医よりも少し詳しく見極めることができるのだ。こう見えて、皮膚科の皆さんにとっても役に立つんですよ、病理って。

ポアロにもヘイスティングスが、ホームズにもワトソンがいるけれど、ポアロとホームズが手を組むくらいのことをやったほうが、医療の現場の難問は解き明かしやすい。ホームズが二人いてもそれはそれで役に立つだろうということ。それが、内科医と病理医、あるいは皮膚科医と病理医が組んで医療を行うということなのである。