2023年3月6日月曜日

脳だけが旅をする

今日は日曜日だがまあ月曜の朝を楽にするためにメールでもチェックするかと思って出勤してPCを開いたらモニタに目のピントが合わないのでびっくりした。しばらくメールを読んだり文章を書いたりしてみたけれど、老眼ならピントもそのうち合うだろうと思っていた期待は見事に裏切られ、10分経っても20分経っても司会はぼやけたまま。眼輪筋が衰えていてピントが合わせづらいのかと思ったがどうやらそうではない。モニタより近くにある外付けキーボードの文字はわりとちゃんと見えるからだ。つまり、どういうことか? 簡単だ、老眼かと思ったら近視が進行していたのである。そっちかよ! この歳になって、今さら? ひとまず視界という字を司会にミス変換していたことにもなかなか気づけないくらいには視力が落ちている。文字への集中力が削がれる。思考も散漫だ。まずい、いよいよ伊達メガネをあきらめて本物メガネをかけなければいけない。いやだなあ、メガネの医者なんてステレオタイプの真ん中すぎて嫌いなんだよ、という声が脳内の一箇所から響いてくる。ぼくの意識に対する古参のタニマチみたいな存在が脳の一角に棲み着いていて、たまにこうして声を上げる。ぼくもそれを聞いて今回ばかりはおっしゃるとおりだよなとうなずく。伊達メガネならいいが本物メガネはいや。視界はぼやけ続けているがそれとこれとは別問題なのだ。

脳の真ん中に自由意志の本体のようなものがある。その右前、左前、右後ろ、左後ろに4名の「本体に反応する分身」がいる。前にいる二人はぼくの本体と連立与党を組んでいるイメージで後ろの二人は野党だ。基本的に応援してくれて牽引してくれるのが前の二名で、何をしても反対するのが後ろの二名。賛同と反論を参照しながらぼくの思考はヨチヨチと前に進んでいく。なお、今回の「伊達メガネならいいが本物メガネはない」と言っているのはじつは前にいるほう、すなわち連立与党側であり、二対二なら真ん中の自由意志がわりと冷静に是非を検討してやっていくのだが、今回のように三対一に均衡が崩れると「本物メガネ」を指示する声は脳内ではまったく存在感を失う。医学的にどうだとか生活を考えたらどうだとか安全のためにどうだとかそもそも伊達メガネと本物メガネの違いなんてはたから見たらわかんないだろうみたいな「正論の一名」なんて脳内多数決の中では何の役にも立たない。

「メガネの医者はいやだ。伊達メガネなら許せる。本物メガネはありえない」可決。

脳内では筋の通った理路だ、なんべん脳内で議論を行ってもこの理屈に破綻は見いだせない。しかしもちろん脳外から見ると奇異である。なんなら、ぼくの脳に外付けされているぼくの耳にも不思議に聞こえるし、今こうしてぼやけたままの視界の中でもなんだか変な感じに映る。あるいは、およそ世の中でよく目にする「論理性が破綻した言動」というのも、これと一緒なのではないかと思う。脳内では確かに矛盾なく繋がっているのだが、しかし、それはあくまで、脳内と脳外が物理法則も時間の概念も論理法則も倫理のありようまでも別様である「異国」であるからだ。国境を越えた途端に解釈は噛み合わなくなり紛争が起こる。



釧路の看護学校の定期試験の採点を終える。締め切りは3週間後だが無事終わった。東京の大学教授といっしょに来月やる予定のウェブ講演会2つの資料を作り終わる。講演は1か月後だが無事できあがった。診断以外の仕事の遅れを日曜日の午前中を用いて片付けていく。「3週間? 1か月? ぜんぜん余裕がないじゃないか、もし1か月かかる仕事が突然入ったらどうするつもりだったんだ」「ごめんね、ほんとうだよね、今度からもっと早く取り組むようにするよ 日曜日にもう少しがんばればいいと思う」「おいおいそれじゃ困るぞ、日曜日に出張すると一発で破綻するじゃないか 平日にちゃんとやれよ」「そうだね」議論が終わる。ながまきさんが作ったYouTubeリストの音楽を片っ端から聴きながら次の仕事へ、次の仕事へと進んでいく。6月の講演のプレゼンを作る。こうすれば平日にきちんと顕微鏡を見て診断ができるし共同研究の論文も書くことができる。

仕事と休みのバランスみたいな話はもう見飽きた。「メリハリある生活をしたほうがいいですよ」とぼくに10年前にアドバイスをしてくれた人たちよりもぼくのほうがたいていツイートの回数が多いし論文の数も負けていない。まったく、脳外の論理はいつも破綻している。「バランス」? なんで天秤にかける? 載せる場所が2箇所しかない測定器具を使ってなぜ人生の豊富なありようを可視化しようとするのか。オロカだ。

日曜日くらいゆっくり休んで本でも読んだらいいではないかと言われても、あと4時間がんばれば決着できるとわかっている仕事を放置したまま本を読んだところで内容が頭に入ってこないのだから現場感のないコメントだとしか思えない。日曜日に職場にいるのはひとえに自分が癒やしの時間に集中するための下準備である。つまりは今こうして働くことで休んでいるとも言える。なぜそれがわからないのか? 脳外はいつも破綻している。脳内の4名が1名を取り囲んで談笑している。1名は体育座りで目をこすりながら近視の進行を未だに疑っている。