2023年3月29日水曜日

新作落語としての死神

着々と先の仕事が片付いていく。講演や講義の資料はかなり先のものまで完成している。とはいえ、新年度になってみないとわからない類いの仕事もポツポツあるし、そもそも講演や講義というものは事前準備だけで終わるものではなくて当日の聴衆の反応を見ながらフィックスしていく作業も必要であるから、仕事の準備が順調だからといって今後やることのすべてが自動化されたわけではない。

が、でも、総論として「準備万端」であることは間違いない。準備ができていないことに比べたら今がどれだけ楽なことか。つまりは喜んで安心するべきなのである。

ついでに言うと今のぼくは、どこの大学に行って将来何をしようかとか、大学で何を学んでどんな資格を取ろうかとか、職に就いてからどのように初期のレベルアップをしようかといった、人生の前半戦に必発の悩みからは遠く離れたところに立っている。つまり、この先に押し寄せる仕事の準備が万端なだけではなく、この先に選ばされる「重大な選択肢」みたいな負荷もぜんぜんないのだから輪を掛けて楽なのだ。

こんなにストレスのない暮らしは思春期以降はじめてなのではないか。



そして、だからこそ、近頃のぼくはすこし燃え尽きているのだと思う。半生で背負い続けた精神的な負荷が少しずつ減っているために、かえって、押しつけられていた心の、「抑え」になっていたものが外れて、ふわふわと隙間から漏れ出ていくように何かの総量が目減りしている。選択をしない暮らしにおける終わらない微調整にはそれなりの……というかおそらく人生で最大の事務能力が必要で、いかにスキルが向上したからといって決してそれは片手間にスイスイこなせるような類いのものではなく、つまり中年には中年なりの「全力を傾けてやらなければならない小仕事」があるのだが、心の中から何かがこぼれて目減りしていっているそれはおそらく化石燃料で、エンジンの回転数があきらかに減っていて、でもスキルは十分に中年レベルに高まっているから、ぶっちゃけ、タイヤの回転もトルクも減っていてもなんだかんだでのらりくらりと前に進んでいくことができてしまう。


そのことがつまらないなあと感じる。




日曜日に猛然と働いて、午前中であらかたやりたいことがなくなってしまい、となれば次は4か月後の講演をひとつ作っておくとこのあと4月が楽に過ごせるなあ、と、思ったのだけれど、楽に過ごしたからといってなんなんだ、という気持ちが湧いてきてしまって、昔サザエさんだったかコボちゃんだったかで、「片足の爪を切った後、もう片方の足の爪を切るのは退屈なことがわかっている翌日にとっておく」みたいなシーンがあったっけな、というのを思い出しながら、仕事をそれ以上進めるのをやめてスープカレー屋を訪れた。日ごろ、人が多そうな昼飯どきに外食をすることはめったにない。11時台前半にずらして食事をすることが多い。けれど今日は、混んでいたからといってなんなんだ、待たされたから何が悪いんだという気持ちだったので、12時半くらいにあるスープカレー専門店の総本店を訪れた。先日、系列店にはじめて入って食べたスープカレーがおいしかったので、今日もその延長戦のイメージで、ただし同じ店で同じ店員に会うと照れてしまうから、本店にしておこうという小さな逃げを選んだ結果である。総本店の駐車場は満車になっていなくて、ぼくは車を停めて店内に入り、店頭の看板にあった本日のおすすめメニューみたいなものを頼んでからradikoで燃え殻さんのラジオ「BEFORE DAWN」を流して待った。ラッシーが先に届いた。それをちびちびやりながら、燃え殻さんが自分のエッセイを自分で朗読するところを聴いた。「ボクたちはみんな大人になれなかった」というタイトルをつけながらもあの小説では主人公たちが否応なく大人に取り込まれていく、そんな中で彼女だけは子どもの心を残したまま――というあの作品の雰囲気はスープカレー屋と非常によくマッチして、ぼくは自分がうまくなじまなかった人生のことをいろいろ考えた。そうして待っているうちにカレーが運ばれてくればよかった、というかまあ日曜日のありかたとして引っかかりなく典型的だったはずが、問題がひとつ生じ、それはカレーがなかなか来なかったということだ。入店時にラッシーを頼んだときに「LINEでおともだち登録していただければラッシーは無料ですよ」と言われ、そういう登録系はこれまでの人生の中で基本的に即座に断ってきたのだが、今のぼくは店員や店舗の下心みたいなものに平気でのっかって何が悪いんだという方向に精神が持っていかれているので、ああそうですか、ではさっそく、と店員の前でホイホイLINE登録してなんらかの送信ボタンを押した。その無料ラッシーはすぐ運ばれてきたのだがそのあとの肝心のカレーがぜんぜん来ない。よく見ると周りにいる客たちも、ぼくより先に席に着いていたはずの人たちのところにもカレーは来ていないので、これはつまりぼくが忘れられているわけではなくて基本的に今日のこの店の運営がこれくらいのスピードなのだろうと理解した。ラッシーには氷が入っていてそれがそろそろとけてくるだろうなというタイミングでようやくスープカレーが運ばれてきて、ぼくは多少下の方が水っぽくなったラッシーとともに普通にうまいスープカレーを食ったが、系列店と同じ辛さの番号を選んだはずなのに今回のほうが少し甘く感じた。スープの種類を変えたから当然だろうと思った。ただしぼくは今日はもうこのあと仕事をするわけでもないから多少汗だくになっても構わないと思っていつもより辛めの番号を選んだにもかかわらず思った辛さに達していなかったことに少しだけ気落ちした。ぼくがスープをサラサラ飲んでいる間、燃え殻さんはお便りを読んでいて、昨日風俗嬢をやめたというリスナーが「最後のお客さんが燃え殻さんだったらよかったのにと思いました」と書いているのをそのまま正直に読んで咽頭のあたりを小さくヒュンと鳴らしていた。ああスープカレー屋で聴くラジオとしてなんてぴったりなんだろうと思った。食い終わって店を出ようとすると周りの客達はまだチンタラチンタラとスープカレーを食っていて、ぼくもこれくらいのスピードで日曜日を過ごして何が悪いんだと、お会計をしてもらうポイントカードを今までのように車のゴミ箱に捨てることもなくダッシュボードに大事にしまって何が悪いんだと、エンジンをかけて家に帰りながらこのあと十二国記の続きでも読みつつ途中で寝落ちして何が悪いんだと、そうやって次々と小さな不良行為に自罰的な評価をくだしながら、自分が悪びれることで暮らしを存続させていることにも少々驚き、数多くの言い訳をストレスのかわりに心の上にかぶせて、それでかろうじて心の中の炎が消えないように世界の風から守ろうとして必死だった。