このブログはだいたい公開の1週間くらい前に書き上げている。この記事を書いているのは3月29日(水)の朝である。ツイッターを休止した。30日(木)のお昼には復活する。
理由は、29日の朝方にテレビ東京系列で放送された「けものフレンズ」の最終回が、札幌ではリアルタイム地上波で視聴できず、30日(木)のお昼にならないとネット配信されないからだ。
ツイッターをやっていると、ネット配信を見る前に、実況勢によりだいたいのあらすじがわかってしまう。ずっと見てきたアニメの最終回くらい、ネタバレをされずに見たい。
さて、どうしようかと考えた。ツイッターを続ける限り、ネタバレは避けられない。ミュート機能を使ったところで、絵で回ってくるネタバレは避けられない。トレンドに「かばんちゃん」という言葉が並んだだけで泣いてしまうかもしれない。
だったらツイッターやめよう。ひどく簡単な発想である。
リプライの通知は元々切ってあるから、リプライが来ていても気づかない。
DMの通知は(相互フォローの人に限り)付けてあるのだが、まさかDMでネタバレしてくる奇特な人もそうはいないだろう。
木曜日の昼まで、一度もツイッターの画面を開かない。これで解決だ。
この6年間でおそらく初めて、目覚めてから出勤し働いている最中に、いちどもツイッターにアクセスしていないという日を過ごしている。
なんて快適なんだろう。
この楽しさを誰かに伝えたい。
気がついたら瞬間的にブラウザが立ち上がり「Twitter」と「Hootsuite」を立ち上げている自分の手を見て呆然とした。一連の動作が、脊髄前根より末梢くらいの部分だけで完結しており、脳を介していない。体が完全に最適化されている。あわてて脳から指令を送り、Chromeの×ボタンをクリックして画面を消した。
ここまで体と一体化しているとは思わなかった。
よくある「ラスボスがヒロインを吸収してしまう最終決戦」で、「もうわたしはラスボスと一体化してしまったの 体を引きはがせば死んでしまうわ わたしごと倒して!」みたいな展開を想像する。
ツイッターを引きはがすとぼくは死んでしまうのではないか?
勇者はツイッターごとぼくを斬るべきなのではないか?
勇者じゃなくてゴブリンくらいでも斬れるかもしれないけど。
うまくこのネタを展開させれば50RTくらい行くかも知れない。気づいたらChromeが開いていた。あわてて消す。
ゴブリンで思い出したけれど、初代ゼルダの伝説の解説を書いていたファミマガ(ファミリーコンピュータマガジン)の記事に、
「森に住むゴブリンだからモリブリンである」
という説明があって、なるほどなーと思った小学校時代の記憶がとつぜん蘇った。
ゼルダ最新作にもモリブリン出てくる! 俺おぼえていた! わーい!
……次の瞬間にはChromeが立ち上がっていてぼくはあわててブラウザを閉じる。
札幌の3月29日、ぼくは朝から汗をかいている。どうしてこうなってしまったのか。ちなみに本記事のタイトルは、ナンバーガールの解散ライブのMCをパクったものである。Bloodthirsty butchers, the Eastern Youth, Foul, the Blue Harb, Cowpers, まだ半分くらいしか聴いてないなあ。いつの間にかツイッターの画面が