病理の話が少しずつ難解になっているようにも思うが、ぼくの中ではこのブログは、誰にもわかる話と、ぼくらしかわからない話、両方を書こうという気持ちでそもそもはじめているのだ。
だから、病理の話と、なんでもない話を、交互に書いている。
今日は難しかった? マニアックだった? ごめんなさい、明日もマニアックだけど、でももう少しわかりやすい話を書くね。でも、明後日はまたわかんない話にしようかと思ってる……。しあさってはわかりやすいように気を付ける。
「読者設定をして何かを書く」という作業に慣れすぎることに対する、抵抗感がある。
目的と手段、ということを考えた時に、目的が「より多くの人に病理を知ってもらいたい」であれば、対象となる読者をきちんと想定して、病理に興味を持つ人が一人でも増えるように手段を選べばいいのだが、どうもこのブログの目的はそことはちょっとずれていて、「自分が病理に対してどれだけ書けることがあるのかを知りたい」というところにある。
そして、もうひとつ、「自分とちょっと似た人に届く文章って何だろうな、それを知りたい」というのもある。
ちょっと前の話なのだが……。
興味のわいた映画があり、おっ、見てみようかなと思いかけていたところで、猛烈な勢いでその映画をプッシュする人の文章を読んだ(ちなみに書き手は、おそらく皆さんが知らない人です。なぜかというと、書き手はぼくの同級生であり、文章が公開されていたのは非公開のFacebookですから)。
とてもいい文章で、まだ見てもいない映画に対し、ぼくはおよその世界観とか見所を、ネタバレしない程度に味わうことができたのだが、全ての文章を読み終わったときに、
「うーん、彼以上にこの映画を楽しく見る自信がなくなっちゃったなあ」
と思って、映画を見に行くのをやめてしまった。
これは極端な例なのだけれども、ある世界に飛び込んでおいでよと説明してくれる人が、あまりに親切で初心者向けだと、その世界で何か尖ったことをしたり、何かを成し遂げたいと思っている人は、ちょっと興ざめしてしまう、なんてこともあるのではないか?
いやいや、そんなあまのじゃくばかりじゃないよ。
初心者向けの文章でまずはその世界に興味を持ってもらうことこそが、間口を広げて、ひいては世界人口を増やす一番の近道じゃないの……。
自分の中でずっと議論が続いていたのだが、先日、ある仮説にたどり着いてしまった。
病理医なんて基本的にあまのじゃくが指向する分野なんだから、本当に病理の世界に興味を持ってもらいたいのなら、あまり素直な文章ばかりじゃなくて、多少あまのじゃくな視点で好き勝手に書くくらいでも、ちょうどいいんじゃないのかな……。
まあ言い訳はともかくとして、「両輪で書く」というイメージがぼくの中にある。両輪というのはぼくの中にある人生のキーワードの一つだ。
キーワードとしてはほかに、「この世はすべて複雑系」とか、「共感しなくとも理解はできる」とか、「名言の多くは物事を動かさずにナワバリ線を引き直すだけ」とか、「演繹・帰納・アブダクション」などがあるが、この話はたぶんここでするのは2度目で、3度目に書くときにまた少し詳しく触れてみようかと思っている。