先日少し運動をしたら、足が筋肉痛になったのはまあいいとして、驚いたことに腰まで筋肉痛になってしまった。なんてこった。日本語に、「足腰」というひとからげのフレーズがある意味がようやく分かった気がする。別に腰の曲げ伸ばしを激しくしたり、重い物を持ち上げたわけではないのに、走り回っただけで腰痛が来るなんて……。
先日のドックの結果で拡張期血圧がちょっと高めに出たというのもじわじわとぼくを責め立てる。
気持ちばかりが若い人間にはなるまい、と思っていたが、自分の体の衰弱加減に精神が追いついていないのだから、相対的に気持ちだけが若い状態だ。
これはまずい、精神を倍速で老成させないと、肉体と精神の不一致が早晩生じてくるだろう。
そこでまずは読書として、封印していた山田風太郎に手を出そうと思う。これはずいぶん昔に勧められていたのだが、時代物はまあ、もう少し自分のメンタルが落ち着いてから読んだほうが楽しいんじゃないかな、なんて躊躇して、それっきり読んでいないのだ。
あとで聞くところによれば、山田風太郎の忍者ものはむしろ若いときに読むべきではないかと言われたりもしたが、そこらへんの齟齬はよくあることだ。
あと、宮部みゆきも一通り読んでいるくせに時代物についてはなぜか少し遠く離れたところで見守る感じでいる。これもよくない。
精神を正しく逐年させるために読む本として、「時代物」しか考え付かない時点でだいぶ発想がアレなのだが、ほかにも考え付いたものがあるぞ。それは神社仏閣めぐりだ。
そういえば、大学院のころ、先輩が神社仏閣めぐりは楽しそうだと言って、その後実際によく行っていたらしい。彼はいまのぼくより若かったぞ、しまった、神社仏閣をめぐるのはよいが、足腰が弱っていると十分に歩き回れないではないか。
結局、精神を程良く老いさせようとするには、若い頃から「老いを蓄積」していかないといけないのだ。
若い頃に若いことばかりやっていてはだめだったのだ。誰に何を言われようとも、自分が出会ったものをもっとだいじにすべきだったし「これは後回し」とかやっていてはいけなかったのだ。
もう手遅れですね、という言葉がリフレインする。とりあえずはジョギングからはじめようと思う。ウォーキングでもいいかもしれない。少しじじくさいかもしれないが、良きじじいになるためには今から修練を積んでおかなければ、いざというときにはじじいになるために必要なスキルポイントが足りていない可能性だってあるのだ。