人間の消化管の中で、もっともがんが発生しやすいのは、大腸である。続いて食道もしくは胃。十二指腸にあるファーター乳頭と呼ばれる領域がこれに続く。もっとも腫瘍発生が少ないのは、小腸。
日本人を含めた一部の東アジア人の場合は、ここに(東アジア型)ピロリ菌感染という刺激が加わるため、胃癌の頻度がぐっと増える。
欧米人など、肥満者の割合が高く、腹圧が高く、胃酸が食道に逆流しがちな人々は、食道のがんが増える。
大腸がんも、実は肉食との関係が深いと言われているため、人種間で発生の頻度に差がある。
おなじ人間同士であっても、遺伝子のタイプとか、食べているもの、ピロリ菌などの環境因子などによって、病気にかかるリスクが異なってくる。
それにしても不思議なのは小腸である。
消化管の中で最も長いのが小腸なのだから、そこにある細胞の数だって小腸が一番多い。細胞の数が多いということは、すなわち、ターンオーバーする細胞の数も多いということで、新陳代謝で細胞が入れ替わる頻度が高ければ、それだけエラーをもった細胞が出てくる頻度も高くなりそうなものなのに。がんがもっと、いっぱい発生してもおかしくないのに。
小腸がんというのはかなりまれだ。なぜだろう?
人間の体の中では、実は、「体外に近い部分ほどがんが出やすい」という原則がある。これは、単純に距離が近いというだけの話ではない。たとえば胃カメラのように、体外から突っ込んでいくものを想像してもらおう。胃カメラを想像できない奇特な人は触手でも想像したらいい。
触手は最初は、皮膚を外側からつんつんしている。
口の中に入って、食道の粘膜をつんつん。
胃まで進めて、胃粘膜をつんつん。
外側からやってきた触手が触れる部分は、「体外から接することができる」、すなわち、体外と体内との境界部分ということになる。これらは、触手に限らず、食べ物とか、酸とか、菌のような、体外からの刺激を受ける場所である。
自然と、エラーを起こしやすくなるというわけだ。
食道は、食べ物が物理的に激突する臓器であり、あるいは温度によっても、刺激を受ける。胃酸の逆流によっても刺激が加わる。
胃は、胃酸をばんばん出す臓器だし、ピロリ菌の関与とか、胆汁の逆流など、ほかにもいろいろと刺激が加わりうる。
大腸は、さまざまな常在菌がうようよ住んでいる。また、胃でいったんやわらかくされた食べ物が水分を失ってだんだん硬くなり、物理的な刺激をもたらすようにもなる。そもそも、体が不要と判断したゴミが通過する臓器である。刺激も多かろう。
小腸だって、細い専用のカメラを使えば(あるいは細い触手でもよいが)、体外から触ることはもちろん可能だ。ただ、単純に距離が遠すぎるのであろう。
ほかの臓器に比べると、刺激が少ないのかもしれない。
以上は単なる推測であって、証明されたものではないのだけれど……。
がんの話をするときに、「複数のリスク」を想定して、「なにがこの病気を引き起こすきっかけとなったのだろう」と考えていくと、物理刺激とかケミカルな刺激、菌のような微生物によるものなど、ほんとうに多くの因子が絡んできて、もはやわけがわからなくなってくる。そんなとき、「まあ、触手が一番届かなさそうだもんね」という言葉でざっと説明しておくと、なんとなく「腑に落ちる」ので、ぼくはたまーにこういう説明を使うようにしている。
ほんとはもっと奥が深いんだろうなあ。そう思ってくれる一部の人が、まれに病理学講座の門をたたいたりする。