2017年4月6日木曜日

病理の話(66) 歴史が今に残した病気という概念

少しマニアックな話をする。

現在、この世の中で観察されうる病気は、「激烈すぎないもの」が大半だ、という話だ。

たとえば、一瞬で空気感染して全ての人を瞬間的に死に至らしめるウイルスというのが存在したら、とっくに人類はほろんでいただろう。

……あるいは、歴史の中で、「ある生物種を全滅させたウイルス」というのもあったのかもしれないが、宿主(感染する相手)を瞬間的に滅ぼしてしまうウイルスなんてものは、「宿る先を失ってしまう」ので、そもそも現代まで生き残れない。

今に残るウイルスは、「人間をある程度生かしておく」という性質を持っている。

致死率の高いウイルスというのもいっぱいあるじゃないか、と反論されるかもしれないが、致死率が100%に近かろうが、決して100%ではないし、「感染、すぐ、即死」というウイルスもない。

宿主が即死したら、次の宿主に移る前に、ウイルスも逃げられなくなってしまうからだ。必ず潜伏期間があり、「人が無症状のままウイルスが増えている時間」というのがある。

ウイルス感染症に限らない。

今この世の中にある病気には、「潜伏期間」があり、「死までの猶予」がある。

逆に言えば、死までの猶予がない病気は、次世代や周囲に伝播しない。



死までの猶予は何によってもたらされるか。

病気が体内で育つ時間。

病気を体内の何かが攻撃して、戦うことで、その広がりを遅くする場合。

発症に年齢が関与する場合。若いときはかかりにくく、年を取ってからかかるような病気であれば、患者さんには次世代を残すだけの時間が与えられている。



「がん」が現代まで残っているというのは、これらの全てを満たす疾患だからだ。

がんを未だに撲滅できない、という言い方は正確ではない。

がんは、人間に「次世代を作るゆとり」を与える(高齢者がかかりやすい)疾患である。

人間同士の間で「かんたんには移らない」(原因となるウイルスがあるにしても、即座にはうつらない)疾患である。

かかってもすぐには命に関わらず、最終的に死に至るまでの時間が比較的長い疾患である。

もちろん、最後にはたいてい、人の命を奪う疾患。けれど、それまでに、猶予がある。

「この世に残るべくして残った、脅威」という考え方ができる。



多少、「擁護」するような言い方になってしまったが、憎むべき敵には違いない。がんを撲滅せずしてなんの医療者かと思う。だからこそ、真剣に、冷静に考えたい。ぼくらががん撲滅を考えるとき、このがんの性質に着目する。

体内にゆっくり蓄積していくリスクがあって発症する、原因から結果までが長い疾患。であれば、リスクの総和をどのように減らしたらいいだろうか? 加齢というリスクはもはやいじりようがない。リスクゼロというのは神話に過ぎない。累積するリスクに応じた早期発見方法を開発するのがよいのではないか?

少なくとも感染がきっかけとなり発症するタイプのがんについては、感染症対策をすることで罹患数を減らすことができるのではないか?

がんが体の中にできてからゆっくり発育する時期があるのなら、その「ゆっくり時期」を延長するような治療をすれば、がん自体を完全に直さずともよいのではないか? 具体的には、あと10年で死ぬがんを、あと200年で死ぬがんに改良するような治療ができれば、がんで死ぬ心配は減るのではないか?

がんが体の中で大きくなるのをふせぐ生体側の複雑な因子をうまく調節できないか? 複雑過ぎる人体を食品ひとつとか健康法ひとつでどうこうできるわけもないけれど、がんを生体が攻撃しやすくなるような環境を作る治療というのは考えられないか?



この世はすべて複雑系である。シンプルな解法というのが存在したら、とっくにその問題は解決している。人類を即死させるウイルスがあったら人類はとっくに滅亡していただろう。その逆もまた真なのだ。時間の経過と共に「現代に残った病気」が、そうカンタンに解決できるわけはない。

だから、こちらも、複雑に取り組まざるを得ない。