2017年4月12日水曜日

病理の話(68) がんを胸先三寸で診断するということの真意

ある細胞が「がん」なのか「がんではない」のかを決めるにはどうしたらいいのか。

病理医が見て決める、というのはまあ、そうなんだけど、じゃあ病理医は何を基準に細胞を判定しているのか。

ベテランの医師に尋ねると、例えばこういう答えが返ってくる。

「あれでしょ、核異型(かくいけい)とか、構造異型(こうぞういけい)とか、つまり、細胞のカタチ見て判断してるんでしょ。悪そうだとか、良さそうだとか」

まあほぼ合ってる。

でも、「ほぼ」だ。

この「ほぼ」はけっこう誤解を招く原因となる。

「カタチみてがんかそうじゃないか決めると言っても、たとえば、『まんまる』と『楕円』の境界をどこでひくかとか、『ごつごつ』と『つるつる』の境界をどこでひくかとかさ、あいまいじゃん、ファジーじゃん。そんなの主観じゃん。がんの診断って怖いよなー」




ぼくらは、より正確には、

「過去に多くの人が亡くなる原因となった病気に見られた細胞と似ているかどうか」

を判断している。

「亡くなった」という結果からさかのぼって、

「亡くなる前にはこういう細胞が見られることが多い」

「こういう細胞が出現しているといずれ亡くなる」

が延々と検討されてきたのだ。それが医学だ。

「この病気を放っておくと死んでしまう」

「放っておくと死ぬ病気にみられる細胞はこういうカタチをしている」

というのが、じっくり積み上げられてきたのだ。

積み上げてきた結果として、細胞の中でも核を見るとかなり精度の高い予測ができるということが明らかになった。

細胞のカタチだけではなく、細胞同士が徒党を組んで作り上げる構造も観察するとよい、とわかった。

わかった結果が、教科書に書かれ、受け継がれるごとに多くの人々の目に触れ、

「ここにはこうやって書いてあるけど、実際には違う場合もあるぞ」

みたいな厳しいご意見をどんどん集めて、教科書が少しずつ精度よく変化してきて、そして、今に至る。

現在の病理学の教科書には、積み上げられた結果の表層部分が主に書いてある。

積み上げてきた検討内容の、底の部分まで掘り下げて検討するのは、なかなか骨が折れるが、できなくはない。





「がんか、がんじゃないかなんて、病理医がその場の胸先三寸で決めてるんでしょう?」



ええ、そうですね、人類の歴史、医学の積み上げを学んで、多くの教科書や先輩達が伝えてきた内容を現代に合わせてアップデートし続けた、最新の医学を学んだ専門家の胸先三寸で決めているんですよぉ。

細胞の核が腫大しているかどうか、すなわち核内の遺伝情報が急激に増殖しようとしているかどうか。核分裂が頻繁に起こる細胞かどうか、すなわち核縁にひっついているヘテロクロマチンの分布が不均一になるかどうか、つまりは核膜の厚さが不均衡かどうか。核の形状がいびつかどうか。クロマチンの濃さはどうか、分布パターンはどうか。核小体が明瞭化しているか。非腫瘍細胞では見られないサイズの核小体が出ていないか……。

核だけではなく、細胞質、細胞の接着性、隣り合う細胞同士の不同性あるいは均一性、作り上げる構造が正常をどれだけ模しているか、周囲の構造を破壊していないか、脈管侵襲像はないか、神経周囲に沿うような進展はないか……。

いやあー、ほんとにいろいろ見所がありましてぇ、いろいろ教科書に見方があって、どの所見が強い力を持つかもきちんと書いてあってですね、これらをぉ、最終的にはぁ、「主観!」でぇ、見ていくんですよぉ。

歴史を学んだ人間の胸先三寸で、決めてるんですよぉ。