2018年6月8日金曜日

エッセイグッドデイ~ズ

来年出す予定の本の原稿を書いている。

とっぴで、科学の裏付けがなく、煽るような、アジるような文章を書くと、簡単に体裁が整うのだなあ、ということを考えている。




ぼくが今書いているのは非医療者向けの本だ。医師として、「アドバイス」をするような内容を求められた。

でも、ひそかにこの本を特殊な随筆形式にしてしまおうかとたくらんでいる。

ぼくは科学を語るならばエッセイが一番いいのではないか、と考えるタイプの人間だからだ。





そもそも論として、科学というのは普遍だが普遍ではない、という残念さがある。

科学が定義する法則自体は普遍でなければ困る。

けれども、「科学をよりどころとして人生を組み立てなければいけない」というルールを万人におしつけるのは厳しい。

科学で語らないと結論がめちゃくちゃになるだろう、といって、科学の側にいない人を叱るやり方をとる人がいる。

そのやり方で、少しでも科学側の人間が今まで増えたことがあったろうか?

ぼくは、「なかったのではないか」と思う。残念なことだが。





科学を科学の手法で語る人は絶対にあちこちにいてほしい。

科学にひたると興奮するタイプの人間は複数いるからだ。

でも、科学を文学で語る人もまたいてほしい。



両方のやり方で科学の普及を果たそうとすることは、「科学者のぜいたくな欲望」だろう。

ぼくはぜいたくなのだ。

医療者に病理診断学を語るときは、科学を科学として語りたい。

そして、非医療者に医学を語るならば文学にしておきたい。

純文学は書けないし、ミステリも無理だ。SFの才能もない。しかし、幸い、エッセイだったらいくつか書いてきた。ほかの文学よりは自分に向いているだろうと思う。





とっぴで、科学の裏付けがなく、煽るような、アジるような文章を書くと、簡単に体裁が整うのだなあ、ということを考えている。

そして、科学をエッセイにする際に、これらの「売るための手法」を一切捨てて、あくまで科学発のエッセイとして書くには、何をしたらよいのだろうか、ということをずっと考えている。