ちょっと専門分野がかわると、途端に相手の言っていることがなんだかよくわからなくなる。
一例をあげよう。
「肝臓内科医」と、「胃腸内科医」は、どちらもおおきなくくりでは「消化器のお医者さん」と呼ばれている。肝臓も胃腸も、広い意味では消化器だ。
でも、お互いに、相手の仕事の半分以上を知らない。
肝臓に詳しい医者の9割以上は、胃カメラで胃の病変を直接とりのぞく「ESD」という手技には手を出さない。出せない。
逆に、胃腸に詳しい医者の9割以上は、肝臓の腫瘍を焼き切る「RFA」という手技には手を出さない。出せない。
一事が万事この調子である。
CTという検査は、そもそもレントゲンのおばけみたいなもので、臓器を輪切りにうつしだして、白いからどうだ、黒いからどうしたと、見極めるだけのものであった。……一番最初のころは。
けれども造影剤という技術や撮影機器そのものの進歩に伴って、今では、おそらく人口の99.9%は使いこなせないであろう高度な技術のカタマリとなっている。
たとえ医者でもCTの画像を完璧に読めるとは限らない。
先ほどの肝臓内科医であれば、肝臓や膵臓のようすはCTでかなり詳しく探ることができるし、胃腸とか脾臓などの評価も得意だ。
しかし、子宮筋腫がどれくらい変性しているかとか、肺の病変ががんかがんでないか見極めるといった、肝臓とはあまり関係ない領域については、同じCTにうつっていても、なかなか見極められない。
医者ならCTを読めるというわけではないのである。
”臓器をまたいだ”とたんに、何もできなくなるということは、ある。
たとえば肝臓に病気をもっている人が、偶然、子宮とか膀胱とか脳などに別の病気を見つけたとする。
この場合、肝臓内科医は、婦人科医や泌尿器科医や脳外科医などに相談をする。自分の専門外のことについては安易に判定できないからだ。
そして、実はその裏側で、放射線科医や病理医が、「領域を横断しながら」その患者に関与していることがある。
患者がさまざまな理由で複数の科を受診しているとき、臨床医たちはそれぞれが、放射線科や病理医などに相談をしていたりする。
病院の中には、「臓器をまたいでなにがしかのコメントができる人」というのが必要だ。
たとえば放射線科医は、対象となる臓器がどこであっても、CTやMRIを正しく判定することができる。
あるいは病理医も、対象となる臓器がどこだろうと、摘出された臓器の肉眼像やプレパラート像から、病理診断を出すことができる。
ぼくらのような「領域横断タイプ」の医者がいることで、臨床医は自分の専門領域に集中することができる、という側面がある。
極めて臨床能力の高い病理医は、ときに、各科の臨床医よりも患者のことを鋭く言い当てられる。
そのような病理医を、ぼくはそれほど多くは知らない。病理医はみんながみんな、臨床能力に長けているわけではないからだ。
そうだな……18人………19人……。
20人弱は、顔と名前が一致している。逆にいうとそれくらいしか知らない。
もちろんこの20人以外が仕事のできない病理医というわけではない。病理医はそもそも、プレパラートを見て意見を言えるだけでかなりの逸材なのだ。
でもぼくはときおり考える。複数の科の臨床医を相手にやりとりをできるタイプの病理医は、かっこいいなあ、と。
なかなかそこまですさまじい病理医というのはいない。
けれど、いることはいる。
なお放射線科医にもいる。たぶん麻酔科にもいるはずだ。緩和ケア医などにもいるだろう。感染症専門医にもいると思う。腫瘍内科医にもいるんじゃないかな。
そういうドクターたちの存在を、一般の人たちは、あまり知らない。