どうりで。おかしいなあと思っていたんだ。
こちらからメールしても全く返事が返ってこない。てっきりぼくが嫌われているのかと思っていた。
けれど何かの機会に顔を合わせるとにこにこ挨拶してくれる。
多くの仕事で顔を合わせる。
そのたびに親切にいろいろ教えてくれる。
けれどもメールには全く返事してくれない。新手のツンデレなのかといぶかしんでいた。
結論は簡単だった。
その忙しすぎる教授はメールを見ていないのだという。
あるときからメールを開くのをやめたのだそうだ。そんなことがあり得るのか。
けれども教授はしれっと言うのだ。
「本当に重要な用件なら電話してくるでしょう? 電話じゃなくてメールで済ませるってことはまだ余裕があるんだよ。相手の時間を奪ってでも一緒に仕事をしないと困る、っていうくらい優先度が上の人と仕事しておけばいいんだ」
ぼくは脱力してしまったのだが、まわりの人間も一様に、のけぞったり、顔を手で覆ったりしていた。
ただ、その教授の近隣で働いている「地元の人」だけは苦笑いを浮かべている。なるほど彼らはそのことを知っていたのだろう。
ぼくはさまざまな打ち合わせをするために「会いたがる」人たちのことが不思議でしょうがなかった。
なぜIoT時代にわざわざ会って話す必要があるのだ。
特に出版社で編集とか記事作成に携わっている人たちが毎回「会いたがる」のには閉口していた。きみらは文章のプロなんだから、まずメールで思いの丈を存分に伝えればいいじゃないか。それをぼくが読んで判断すればいいじゃないか。
わざわざ会わないと企画がはじまらないというのも不思議な話だ・・・・・・。
しかし、教授の話を聞いて、またひとつ思うところがあった。
メールで人柄をかもしだすのって大変なんだよな。
切迫感とか。
ニュアンスとか。
一通をじっくり読めればいくらでも伝わるだろうけれど。
たとえばあの教授みたいに、一日にメールが100通も200通もきて、そのどれもが「一世一代の大きなコンサルテーション」だったりすると、もはや、どのメールもぜんぶ重要なせいで、かえって優先順位がつけられなくなるのだろう。
インターネットの速度は人間の脳の処理速度を超えている。
だからこそ、回線を切って、時間を切って、「その人だけに注力する時間」をきちんと演出できないと、進む話も進まない。
そういうことなんだろう。なんだかわかってきた。
ぼくは教授に尋ねた。
「わかりました先生、これからは電話します。けれど、おいそがしい先生のお時間を電話で奪ってしまうのも心苦しいというか……」
そしたら教授はこともなげに言うのだ。
「あっ、電話なんてそんなにびびらなくていいんだよ。ただひと言でいい。『今送ったメールを読んでください』でいいんだ。そしたらぼくは、電話がきたってことは大事な用件なんだなってわかって、メール読むから」
そのハイブリッドな生き方は果たして効率的なのだろうか?
日本の企業がオンライン化したプロセスをいちいちハンコで承認するのと似ている気もした。
なおその教授は異常に頭がよくて、ぼくが「AとBとCがみえるな」と思ったプレパラートを一瞬みるだけで、
「なるほどこのプレパラートにはABCDEFGがみえて、いろはにほ、αβγもみえているね。『B』と『ほ』と『ω』は相関しているなあ」
みたいなことを即座に出力する。
それだけ頭がいい人の生き様だ。
凡人であるぼくが解釈するのもおこがましい話ではある。その上で敢えて言っておこう。凡人は無駄にしゃべる。これはもうしょうがないのだから。無駄につっこませてほしい。
いいからメール見ろ