胃や大腸の粘膜に出る病気をこそげとってくる「ESD」という治療法がある。ESDでとってきた粘膜(+病変)というのは直径2cm前後の大きなボタン状をしていて、まあこれがときには5cmとか10cmくらいのでかいもののこともあるので大きさにはそれほど意味はないのだけれど、この大きめのボタンを内科医と病理医はめちゃくちゃに細かくみる。
体の中から取ってきたあとにみる。
取ってしまえば安心、といいたいところなのだが、とにかく取ってからもめちゃくちゃにみる。
なぜみるか。
その直径2cmとか5cmとか10cmくらいのボタンの中に、米粒よりもごま粒よりも小さながんが混じっていて、それが粘膜の下のほうに「浸潤」(すなわちしみこむこと)していると、その後やっかいなことが起こるからだ。
米粒よりもごま粒よりも。
つまりはかなり細かく検索しないといけない。
やっかいなこと、というのはつまり「転移」である。
がんが混じっていて、粘膜より深いところに浸潤していると、転移のリスクがあがる。それがどれくらいしみこんでいるか、すなわち浸潤部の量とか距離をきちんと計測して、はじめてその患者にどれだけの追加治療をすべきかが決まる。
というわけで「患者の体の中からとってきたボタン状の検体」をぼくらはきちんと念入りにしつこく観察するのだが、このとき、
「胃カメラを担当した内視鏡医は、ボタンを上からみる」
のに対して、
「顕微鏡を使う病理医は、ボタンをたんざく切りにして、割面からみる」
という違いがある。
X軸、Y軸、Z軸という三軸をかんがえたときに、臨床医はXY平面を、病理医はXZ平面を評価しているかんじだ。
この軸の違いはなかなかに悩ましい。
「パイプの形」を想像していただければその難しさがわかる。上からみたらリング状。横からみたら長方形。まるで形が違うではないか。
だから、内科医とぼくら病理医とは、ときに、「こっちはああ見えたぞ」「いやこっちはこう見えた」と議論をする。
ここには対比理論とでも呼ぶべきルールがある。しかしこのルールは非常に主観的なため、なかなかきちんと言語化されきっていない。教科書もいくつか出ているのだがすべてを網羅するような本はなかなか出版できない(難しいしマニアックだから)。
ということで、全国で「研究会」が開催されている。内視鏡系の研究会でやっていることというのは、つまり、ボタンをひねくり回して、「ああ見えた」「そんなわけない、こう見える」のやりとりなのである。しょっちゅう出ています。