2018年12月17日月曜日

病理の話(274) 遺伝子信仰ちょっと待った

猫も杓子も遺伝子なのである。

今の医学はとにかく遺伝子なのである。

特に「がん」は、ひたすら遺伝子なのである。



病気の原因が、なんだか我々の思考が及ばないところにある「遺伝子の異常」とざっくり考えることで、我々はなんだか「おさまりがいい」みたいな気分になる。

それはもう、すごく、強制的な納得をしてしまえる。

みんな「遺伝子の病気」というのをすごく気にする。

「遺伝子の異常」という言葉にめちゃくちゃ敏感になる。




遺伝子にキズがついていると病気になるとか。

親がこの病気だと子供もこの病気になるだろうとか。

遺伝する病気、家系に伝わる病気、

放射線を浴びるとDNAが傷つく、みたいな話だって、世の中ではすごく耳目を集めるであろう。

DNAは人体のプログラムだからなあ。

プログラムがいかれていたら、それはもう、バグみたいな病気がいっぱい起こるだろうなあ、そうだよなあ……。




けれどもね、病気の「根本」というのは、別にDNAとか遺伝子みたいなところに「だけ」立脚しているわけではない。

そもそも病気というのはいくつかに分類することができるのだが、

・体の外から何かがやってきて、体と戦うパターン

・体の中でよかれと思ってバランスをとってうまくやりくりしていたはずが、そのバランスが崩れてしまったパターン

実はこの2つがすごく多いのだ。

前者の代表は風邪だよ。あとインフルエンザとか。傷口が化膿するのもこれだ。

ここ、別に、遺伝子とかDNAとか、「それほど」関係していない。

全く関係していないわけではないんだけどさ。

後者の代表はアトピーかな。

高血圧も後者だな。

肥満もそうだよ。

これらも遺伝子「だけが関与しているわけではない」、病気だ。




そう、遺伝子、すなわち人体をうまいこと作ってやっていくためのプログラムというものは、あらゆる病気に「ちょっとずつ」は関わっているのだけれども、その遺伝子だけが「すべてを」決めているような病気というのはあまりないのである。というか、我々が普段から目にする病気が、「遺伝子のせいで」起こっているといいきれることはめったにない。

生まれ持った遺伝子の違い「だけで」病気になるならないが決まるというものではないのだ。

かぜも。

高血圧も。

肥満も。

「遺伝」だけで片づけられるほど単純な病気ではないのである。




この話はまあたいていのひとが「そうだね、そうだろうね」と納得して聞いてくれる。

けれども話が「がん」に及ぶと、みんな突然思考停止して、「遺伝しているのかもしれない」みたいなことを言いだす。




がんだけ特別扱いすることはない。

がんにおいても、「遺伝する因子」だけが力を持っているわけではない。

とにかく人間の体の仕組みとか病気のメカニズムということは、「たった一つのストーリー」では解決できないようにできているのである。




と、さまざまな本に書いている、テレビも言っている、Twitterでもささやかれているにも関わらず、それでもなお多くの人が、「がんは遺伝するのかな」とか、「DNAに傷がつくとがんができてさ」とか、なんとなーく「遺伝子」に対して敗北感を感じているのはなぜなのだろう。





……ぼくは今、この、「理屈を超えて騙されやすい説」に、ちょっと興味がある。

人間が根源的に「信じたいストーリー」みたいなものが、DNAとか遺伝子の周りにはあるのかもしれないな。