2018年12月31日月曜日

脳だけが旅をする

祝日ではない平日に更新するというルールを厳密に設定すると、12月31日(月)はブログの更新日となる。

なんか休み感があるけど、まあいいか。

告知のツイートを忘れそうだ。まあいいか・2。

今日はあまりいっぱい読まれない日だ。だったら、いつもは書かないことを書こう。

ふりかえることにする。それも本気で。

みなさんにとってはつまらないだろう。でも数年後のぼくが見返すと少し懐かしい気分になるのではないか、と思う(恥ずかしさに顔を赤らめるかもしれないが)。






本年は小さな論文を2本出した。あとは共著の英文論文が1本。いずれも、科学者がだいじにしている「インパクトファクター」は非常に小さい。けれどそれぞれ、細々と苦労があったし、多くの人のお世話にもなった。結果、目に見えるものが世に少しだけ残ったことを素直に喜んでいる。来年もこまごまと論文を書き続けたい。


病理診断業務については例年並みだが、仕事のスピードは少し速くなり、外部から頼まれる仕事の量がかなり増えた。消化管系のコンサルテーションの数はおそらく去年の4倍くらいある。それだけ年を取ったということだ。「担え」ということである。


学術関連ではあいもかわらず「臨床画像と病理組織像の対比」のテーマでときおり講演をしている。2018年に訪れた場所は、浜松、岡山、ウランバートル、佐賀、山口、四日市、京都、立山、東京、東京、飯田、松本、高知、東京。ただ今年は出張の多くがかけもちだった。だから講演回数のわりに札幌を離れた日は多くなかったように思う。内容としては上部消化管のバリウムや内視鏡・拡大内視鏡と病理の対比が多く、今年はこれに消化管エコーや膵臓エコーと病理の対比の話が続き、マニアックなところとしては炎症の病理についての講演や、AI病理診断についての我々の立ち位置の話などが加わった。消化管エコーについてはある研究会の全国幹事を務めることになったので、今後もう少し講演する機会が増えるかもしれない。


日本病理学会の学術評議員になった。「社会への情報発信委員会」に入り、なんだか広報のための裏方として悪い顔で打ち合わせなどを何度かやった。


「病理情報ポータル」というブログ( https://patholportal.amebaownd.com/
の立ち上げ。ほんとうはこのポータルに、新たなツイッターアカウントを連携させて、日本病理学会主導のSNSを体系的に運営してみてはどうか、と思っていた。病理学会の複数の評議員たちで協力して運営できるように、こっそりと準備をすすめていたのだ。けれども、様々な調整の末に結局、「病理学会公認」のSNSは見送った。もともと、学会が必死でSNSをやるべきだとも思っていなかったし、まあそういうこともあるよな、とすぐにあきらめた。結局このブログについてはぼくが引き取って、ほそぼそとハブ的な情報サイトに仕立て上げている。アクセス数は低いがコンスタントに人が見に来ている。


病理学会がらみでは、ほか、2019年の早い段階で、2つほど動画を作成することになっている。疾患や医療、病理の啓蒙活動のために動画を作るというのは「いまさら感」があるが、いつも新しいことだけやればいいというものでもなさそうだ。動画2つのうち1つについてはぼくが脚本を書いた。収録は年明けすぐを予定している。


2018年は執筆数がじわじわと増えた年でもあった。ありがたいことに出版も複数させてもらった。書籍「いち病理医のリアル」と、「上部・下部消化管内視鏡診断マル秘ノート2(モテ本2)」、「私の消化器内視鏡Tips」が出たのはいずれも2018年のことである。


「いち病理医のリアル」はエッセイにしては値段が高いけれど、おかげさまでよく売れている。原稿を用意したのは2017年のことだから、もうだいぶ前のような気がしていたが、そうか、2018年の2月に出版したのだったか。


「モテ本2」は売れるとわかっていて出した。こちらは埼玉医大の野中先生や、手稲の田沼先生、旭川の濱本先生との共著であり、ぼくは黒子に徹すればよかったからラクだった。黒子にしては少々しゃべりすぎたきらいもある。ものすごい売れてちょっと引いている。


「Tips」は学園祭みたいな本だ。全国89施設から140本もの短い「お役立ちコラム」が寄せられて作られている。ぼくもその中の1本に参加した。ウェブサイト「ガストロペディア」の人気コーナーの書籍化である。こういうのは純粋に「仲間に入れた楽しみ」みたいなものがある。学会で著者同士が顔を見合わせてフフッとなるタイプの本だ。どれもおもしろいのだが、高知の内多先生の原稿がやはり楽しい。


そういえばモテ本1は発売が2016年なのだが、2018年になって韓国語版が出た。ハングルで書かれた教科書をみると不思議な気分になる。巻末のうさ耳イラストに添えられたハングルになんと書いてあるのか気になる。


本を出してもらえるというのは、ありがたいことだ。ぼくみたいな人間に何かを書かせてくれる人たちがいることに驚きと感謝がある。こうして1年を振り返るときに、書籍の話をする日が来るなんて、予想もしていなかった。


もともと、2017年に「症状を知り、病気を探る」(照林社)という本を出せたことが大きい。どこに行くにもカバンをゲラでパンパンにして、出先や研究会の空き時間、移動中の機内などでずっと校正をしていたことを思い出す。この本が結んだ縁は非常に大きく、看護系の某団体の偉い人が本書をほめてくれて、ぼくにひとつ仕事を振ってくれたりもしている。台湾で翻訳版の発売が決まっている。この本を読んだ他社の人たちから原稿の依頼が舞い込むことも多い。


本を出してからというもの、全国の書店員さんを強く意識するようになった。出版社の営業とか編集に携わる人もそうだ。つまりは本を「書く人」「読む人」だけではなく、「作って届けて広げて売る人」にも目がいくようになった。


もともとぼくは今のツイッターアカウントをはじめる4か月ほど前から個人のアカウントを持っていた(現在は閉鎖)。ツイッターという世界をいろいろ知ろうと思って始めたアカウントで、ぼくが最初にフォローしたのは、東急ハンズネットやヴィレッジヴァンガードなどの企業公式アカウントと、出版社や書店員のアカウントだった。それから8年経つが、結局おいかけているアカウントとしては今もそう変わらない。ただ、書店員に対しては、本を出してからそれまで以上に親近感……というか感謝の気持ちが深くなった。


さまざまな連載原稿の話もしておきたい。


雑誌「Cancer board square」の連載は2019年の初頭に最終回を迎える。季刊ペースのため原稿の数こそ多くないのだが、あしかけ4年以上にわたり「臨床の人たちに伝えたいワンポイント病理」という視点で書かせてもらった連載で、思い入れが深い。医学書院の担当編集者が無駄にかっこいい点だけが残念だ。


「薬局」「治療」に同時連載していた「Dr.ヤンデルの病院ことば」も、全20回で大団円となった。この連載は地味に反響が大きく、最終回のときにはツイートで幾人か言及してくれた。雑誌連載についてツイートを目にすることはそう多くないからとてもうれしかった。南山堂の編集者氏とは未だにお会いしていない。「会わずにここまで仕上げていく関係」というのはとてもクールだと思うし、ぼくの好きなやり方である。


Medical Technology誌の超音波・病理対比連載は第3シーズンが終わろうとしている。千葉西総合病院の若杉先生という鬼才とご一緒できているだけで光栄だが、金久保さんという大変優秀な技師さん、おまけに網走の長谷川というやや残念な長身の技師と4人体勢で「座談会」をできているのが大きい。座談会とか対談というものは医療系だと結構苦労するジャンルらしいのだけれど、連載を続けさせてくれている医歯薬出版の編集部のふところは大きい。


重要な変化球として、病院司書さんを対象に全国で350部ほど発行されている雑誌「ほすぴたる らいぶらりあん」に4回の連続エッセイを寄稿した。「巨人の膝の皿の陰」というタイトルで、このエッセイについてはまず一般の方々が目にする機会はないと思うが、ぼくが今まで書いてきたものの中でおそらくは一番ぼくらしい文章である。お声がけいただけたことに深く感謝している。なおこの連載が縁で、2019年にひとつ講演することが決まっている。


単発の原稿としては、日本医事新報の「プラタナス 私のカルテから」というコーナーには、かつてぼくを育ててくれた(今もお世話になり続けている)バリウム技師たちとの画像・病理対比の日々を書いた。仲野徹先生がずっとコラムを載せている雑誌に名前が載るのはうれしいものがある。


週刊医学界新聞には「教科書の選び方」についてのミニコラム。また、「トラブルに巻き込まれない著作権のキホン」と「集中治療、ここだけの話」の2冊について、それぞれ書評を投稿した。いずれも、医療系の仕事でありながら本関連の仕事でもある。どうもいろいろとつながっている。


本といえば、医学書を読んでおすすめする毎日にヒントを得たのか、三省堂書店池袋本店で「ヨンデル選書フェア」がはじまった。2018年12月から2019年5月までの半年間、ぼくが選んだ本がぼくの書いた「おすすめコメント(350文字)つきカード」とセットで特設ブースに並ぶ。



最後に自分で見に行ったもの、聴きに行ったことの話を書いておく。



川崎医大の畠二郎先生の講演はいつもすばらしい。名古屋の中村栄男先生は大御所といった雰囲気がすごかった。富山の病理・夏の学校では幾人かすばらしい講演をされていた先生がいた。飯田の岡庭信司先生にはいつもうならされる。神戸の伊藤智雄先生とはたまに病理学会のイベントでこれからもお会いするだろう。若い医学生に会うと必ず長崎大学の福岡順也先生のところに見学に行くよう勧めている。新潟の八木一芳先生と札幌医大の山野泰穂先生は読影者としても研究者としてもちょっと別格だなと感じる。


中学生のときに通っていた塾の恩師と食事をしたのは3月だった。おいしいものを「おいしいから食え」と言われてあんなにうれしいとは思わなかった。


あるとても偉い人に会った。ある学会の頂点にいる人だった。奮闘し、感謝もされ、誰にも知られないままに終わった。書けない日々のことが手帳の中にひびとして残っている。


人の話をよく聴きに行った一年でもあった。人ではないが犬の枕草子の話がとてもよかった。人ではないが鴨にサインをもらったのがうれしかった。2019年もたまに人の話を聞きに行こうと思う。今までできなかったことだ。


息子と旅をした。書いたことはないと思う。
あれはとてもよい旅だった。