「でも近頃は年がら年中気温って安定してないですよね」
と答えた。
うん、そうだね。冬に限らないな。
いつだってテレビの天気予報では、「平年より10日早い」とか「来月中旬並みの気温」とか、「先月くらいの温かさが戻ってきます」とか言ってるもんな。
昔は違ったのかなあ。
きっと違わなかったのだろう。
近頃はきっと、データの照合が昔よりずっと簡単になったのだ。前よりも「昨年との比較」とか「過去100年の平均と比べてどうか」みたいなことがラクになった。
今のこの状態が「平年並みかどうか」というデータが数秒で取り出せるようになったから、報道の機会も増えて、ぼくらがそれを気にする機会も増えた、というところだろう。
何度か書いてきたことではあるけれどやはり認めておかないといけない。
ここはもう未来なのだ。
ぼくが小学生時代に背中をまるめて読みふけったドラえもんの世界が、地味な方向に1/3くらい達成されている。
あらゆるものが少しずつデータベース化されていくことで、「現在」が「現在」だけに留まらなくなる。「現在」は常に「過去」と照らし合わせられるようになる。あるいは、「現在」から「未来」が予測しやすくなる。
もちろんここにはいつだって不確定性がある。カオスがある。天気予報くらいにしか当たらない、というのは時代を言い当てたフレーズだ。
それでも、「天気予報くらいには当たる」世の中に、ぼくらは今生きている。
誰が最初に言ったか知らないが、動物には過去と未来の概念がないのだという。人間だけが時間軸を背負って生きている。
これはたぶん人間の脳が、過去の経験を使って生存戦略を立てることにむいているからだ。
情報が総データベース化することで、その都度複雑系の出力結果として表出しているにすぎない「現在形のみ存在する現象」、すなわち気象とか経済とかファッショントレンドとかにも、まるで過去・現在・未来がつながっているかのような錯覚をできるようになった。
近頃は気温が安定しない。12月に、12月らしい気候の日は半分もないように思う。
けれどもほんとは元々「そういうものなのだろう」。
あらゆるものがデータベース化すると、ぼくらの目には、あらゆるものが「不安定」に見え始める。
「そういうふうにできている」。