2019年2月13日水曜日

病理の話(293) かかりつけ病理医

友人が少しずつ開業している。

昔と今とで、「開業医」という仕事のイメージはだいぶ変わった。

「大病院ほどの治療はできない、ただ近いだけの、年を取った医者がひとりでやってる、ふるぼけた、あてになるのかよくわからない医院」

こういうイメージは古い。




開業医……「かかりつけ医」の強力な武器をご存じだろうか。

それは、「患者と長年付き合ってきて、その患者のことをずっと診てきたという歴史」である。

救急病院でいつも問題となるのが、突然運ばれてきた患者がそれまで飲んでいた薬や、持病の有無などがすぐにはわからないということ。

おくすり手帳をいつも持ち歩いて交通事故に遭うわけではないし、iPhoneを持っているからといってスマホに健康情報すべてを入力している人も少ない。

救急車で運ばれてきた人は圧倒的に情報が足りない状態で生命維持をスタートされる。

これは本当に大変なことなのだ。




医療者であれば、いつも、「この患者は背景にどんなものを抱えているのか」を強く気にして診療をする。そして、かかりつけ医とは、この、「患者の背景」を一番よく把握できる医者である。

ずっと通ってくる患者と長年にわたって会話をするということ。

患者と医者との対話は、どんな教科書よりも雄弁に、その患者自身を語ってくれる。



「一病息災」ということばがある。

血圧が高いとか、血糖が高いとか、そういう「とっかかり」によってひとつの病院に長くかかり、医者と気ごころを通じ合わせることで、何かほかの病気になったときに早めに見つけてもらったり、小さな体調不良にいち早く気づいたりすることができて、結果的に健康でいられる時間が長く続く、という意味だ。



患者の人生に寄り添いながら、いつか現れるかもしれない数々の病気に最初に対処する存在。

なかなかにして粋な商売なのである。






ぼくがやっている病理医という仕事は、患者の背景を把握しきれない。

患者と直接会話できないからだ。臨床医からも、患者のすべてのデータを伝えてもらえることはほとんどない。

細胞だけをみて判断していると思われがちな仕事だし、実際、細胞はとても雄弁で、多くのことを語ってくれる。

でも、病理診断の際に、「患者がそれまでに何をしてきたか」という情報は、ものすごく大事だ。

患者が持っている持病。患者のライフスタイル。患者が今何に苦しんでいるか。

これらが伝わってはじめて、病理診断というのはその精度を高める。

だからぼくらはいつも電子カルテを孤独にたぐる。

そこに書かれている様々な情報から、主治医が患者に対してどのような思いを抱いたのか、患者は何を伝えようとしているのかを読み取る。

わかりにくいときは直接電話をする。





「A先生、この人何か薬飲んでますか。肝臓が何かいつもとちょっと違うかんじなんですよ」

「B先生、この方の主訴って何なんですか。腹痛ですか。それとも便通の異常?」

「C先生、スメアご覧になりましたか。骨髄だけだとわかりにくいんですけれど。」

「D先生」

「E先生」





ひとつの病院に勤め、いろんな臨床医に電話をし続けて、12年くらい経った。まだ12年。もう12年。どっちかな。

こないだふと思った。

ぼくは……病理医は……臨床医の「かかりつけ」みたいな存在だなあ。

A先生だったらどういうときに病理に検体を出してくるかがだいたいわかる。

B先生はどういう病気に興味があり、どういう異常を細かく見つけているかが予想できる。

C先生はぼくに何を求めているかをだいたい知っている。

……かかりつけ病理医か。

悪くないな。