2019年2月5日火曜日

ローファイから滑って行った先のジェレミーザッカーがまたすごくいい

メジャーレーベルからのリリースをやめて自主製作・自主販売でけっこうな量のアルバムを売ったLOSTAGEの一番新しいアルバム in dreams は、その販売過程を全く知らない状態で聴いても40歳男性の心にしみじみと染み渡っていた。



ぼくは音楽がよくわからない。聞いて心地よいものを誰もがそうするように「あれ好きだったよ」というだけの存在。

音楽雑誌を買わないしライブにもめったにいかない。クラブミュージックに興味があってもクラブにいかなければシーンはわからない。ハウスもテクノも知らないままに過ごした青年時代。Hip hopのことだって、ずっと悪友と母に感謝する音楽ジャンルだと思っていた(申し訳ない)。



そんなぼくは今でも、自分のルーツとなっているLOSTAGEやZAZEN BOYS, bloodthirsty butchersなどを好んで聴く。2日に1回くらいのペースでこれらのどれかを必ず聴いている。

おそらく世の中ではそこまで有名ではないけれど、全部がメジャー(もしくは元メジャー)レーベル所属だし、ちょっとバンドミュージックが好きならこれらのバンドを知らないということはありえない程度には有名なバンドたちだ。

けれども。20年前、ぼくの周りには、彼らの音楽で一緒に盛り上がってくれる人はほとんどいなかった。

ライブハウスに行けばいくらでもいた。フェスにもいっぱいいた。

けれどもぼくはライブハウスには行かなかった。ずっと、iPodのイヤホンとだけ好きなバンドの話をしていた。まあぼくはもっぱら聴く方だったけれど、それは確かに会話だった。






最近こんな話ばかりしている。同じ素材を何度もループさせている。アレンジを少しずつ変えながら何度も何度も。

ああSNSというのは不思議なものだ。ぼくは同じ話を何度もするタイプの人間になっているな。年を取ったのかもしれないが、瞬間的に消費して痕跡も残さないSNSの影響もあるとは思うぞ。

でもおやじの居酒屋トークといっしょか。言ってみれば居酒屋だって、small network serviceではあったんだ。

さておき。





あの曲良かったよねというと、こちらがたずねてもいないのに、「この曲もぼくはいいと思ったんだ。」と絶妙なおしつけでぼくの前に新しい曲を出してくれる人たちがいる。これはSNSのおかげだろう。外出しないぼくの周りに、そういうプチお節介な奴らがいる。ありがたいことだ。

新しい音楽たち。

決してぼくから能動的に求めたわけでも、だまってクマゲラのヒナみたいに受動的に口の中に押し込まれたわけでもない。それは一番いい形でぼくの前に現れた。

「ぼくの歩んできた歴史が、ぼくの前に無意識に偏りを産んでいて、坂道を作っていて、その勾配にそって、ぼくは自然と滑り降りて、その曲にたどり着くことになる。望むところではある。」

これを中動態というらしい。

何度も書いたね。






ぼくの周りにはぼくの音楽を好きな人が数万倍くらい増えた……いやこれはおかしいな……ゼロを何倍しても数万にはならない。

SNSありがとう。今ぼくは、LOSTAGEを中心とした膨大な音楽の海の中にいる。チルアウト「させられ」ている。聴か「されて」いる……。

違うな、受動態の表現ではうまく伝えられない。やはり中動態でなければだめだ。






「聴かさる」。

北海道弁。標準語を使う南の地方人たちには意味がわからないだろう。やさしいぼくは、説明をする。北海道弁には中動態表現があるのだ。

「自分で積極的に聴こうと思っていたわけではないんだが、なんだか勝手に向こうから聴こえてきて、でもそれが別にすごく不快かというとそうではなくて、どちらかというとそのまま身を任せていてもいいかなという気になって、まあすごい積極的にライブストリーミングをクリックしようと思ってたわけではないんだけれども、なんだか自分ではない何かの力によって自分のスマホの上で指が勝手に開いて、Spotifyが起動するのをぼくは許容してみていた、そしたらいつのまにか音楽が耳元で鳴っていて、それは別に悪い気分ではなかったよ」

というのが「聴かさる」の1単語内に含まれている。どうだすごいだろう?





サンプリング。スクラッチ。反復したよれたビート。チルアウト。

「ローファイ・ヒップホップ」という言葉をシャープのDJが教えてくれた。まあそれはぼくに向けて発した言葉ではなかったからつまりは「聴かさった」のだけれども、中動態的にぼくの中ではねた。

何もわからない音楽の、自分の目についた断片を、SNSという雑なサンプラーで、何度も何度もリピートして、次々とストックしてはミックスして聴き続けていたぼくの前に、lo-fi hip hopが現れて、その音楽性というのはよくわからないけれど、なんだかやっていることはSNS時代のぼくにぴったりだなあ、とか、そういうことを思った。ぼくは今、毎日lo-fi hip hopをかけ流しにして働いている。