同じようなことを考えている人どうしが、似たようなタイミングで似たような風邪を引いたとする。
そういうのを見て、運命がどうしたとか、神の導きだとか、だいそれたことを言いたがる人がいる。
でも、ぼくは、
「だいたい似たようなことを考えている人ってのは
似たような人にあこがれて、
似たような映画を見て、
同じようなものに影響を受けて、
するってえと、しぐさとかも似てきて、
手の洗い方とか、鼻くそを人前でほじるかどうかとか、
そういったところが似てくるので、
粘膜の傷め方も似てくるし、
菌に対する無防備さも似てくるために、
ある種のウイルスに対する弱さも似てしまい、
菌に対する無防備さも似てくるために、
ある種のウイルスに対する弱さも似てしまい、
結果的に同じような風邪をひくんじゃないかなあ」
なあんて、冷めた感想を持っている。
「本の雑誌」を読んでいたら、作家・辻村深月氏が本屋大賞の賞金10万円で本を買っていた。
買った本のラインナップを見て少し驚いた。「ぼくが買いそうな本ばかり」だったからだ。
別に、ぼくが作家並みのセンスを持っていると言いたいわけではない。
そうじゃなくて。
瞬間的に思ったことは、こうだ。
「ぼくと、辻村深月と、何か生き方に共通点があるんだろうな」ってこと。
だから選ぶ本が似てくるんだろう。
だから選ぶ本が似てくるんだろう。
ほぼ日か?
一部の本は、ほぼ日もしくはその関係者が好きそうな本だ。
ぼくは毎日、「ほぼ日刊イトイ新聞」を見ている。
辻村さんも毎日見ているのだとしたら、ここにあげられた本の1/4くらいはかぶってくるだろう。
でも、そうだろうか。もっと根源的な類似点がないだろうか。
しばらく考えていた。そしてあっと気づいた。
ドラえもんじゃん。
辻村深月氏は大のドラマニアだということはよく知られている(余談だがこの記事を書いた直後に、ぼくは辻村さんが2019年の映画ドラえもんの脚本を小説化していたことを知った。買った)。
辻村さんは、「本屋大賞の賞金10万円分図書カード」で、真っ先に既刊ドラえもん全巻(「プラス」も「大長編」も含む)を買った。とっくに全巻持っているくせに、自分の子供に新しいてんとう虫コミックスを読ませたい、などという白々しい理由をつけて、だ。
わかる。何冊でも買いたくなるよな。何度でもだ。
わかる。何冊でも買いたくなるよな。何度でもだ。
ぼくもドラえもんで育った。このブログでは、ドラえもんの話なんて一回もしてこなかったけれど、ぼくの中であまりに当たり前すぎて……というか……日本国民は全員がドラえもんを通り過ぎているはずだと信じきっていて、「他者とは違う前提」としては考えていなかった。
ぼくのはじめてのエッセイ「いち病理医のリアル」を書いた時、病理医のエッセイなのに唐突にドラえもんが出てくることを、ぼく自身は不思議ともなんとも思っていなかったのだが、先日、ある人に、
「あそこでドラえもんってのが『唐突』で、いいですよねえ」
と言われて、はたと気づいた。「ドラえもんは国民の教養のひとつ」だと思っていたけれど……少し……言い過ぎだったか……。
そうかそうか。辻村さん。あなたの選ぶ本にいちいち納得するわけがわかりました。
ドラからはじまった人ならば、読む本くらい似てくるのは当たり前ですよねえ。
普段、カオスがどうとか、未来予測は不可能だとか、そういう科学のほうが好きでいるぼくも、ぼくを作り上げている事由が「ドラえもん」一択であるということに、みじんの疑いもない。
「どんなルートをたどってもかならずセワシくんは生まれてくるのだから。」
ドラ科学の申し子であるぼくは、すこしふしぎ理論の申し子なのである。