2019年2月26日火曜日

角あればキマリ

前々回のタイトルを眺めていて思い出したことで、もしかしたらここでも一度言及したことがあるかもしれないことを書く。



ドラクエの中に登場する、「解毒のための魔法」が「キアリー」という名前なのだが、これの由来が子供心にわからなかった。

ギラはわかる。なんかギラギラしているからだろう。

メラもわかる。メラメラ燃えてそうではないか。

バギは……風で割れた木材のような……?

アバカムはなんか開くんだろうか。パカッと。……いや、ちがうな、「暴く」だ。あばくからアバカムなんだろう。

マホカンタは魔法をカーンと跳ね返すからわかりやすい。

でも、ホイミはわからなかった。「休み」を分解して「イホみ」と読ませ(へんとつくりを分ける)、これを入れ替えてホイミだろうという説が流行ったが、後に、「ホイっと身を助けるの意味です」とエニックスの社員が発言したと聞いた。意外と単純だったがあまり考え付かなかった。

そして、キアリーもわからなかった。高校時代か、大学時代か、友だちとの会話で盛り上がった。

あるとき一人がこういった。

「楽あれば苦あり、毒あればキアリー。そういうことだ。」

ぼくらは皆納得した。そういうことだな。まちがいない。




……どういうことだよ。まちがいなくないよ。

数年後にぼくは突如ツッコんだ。




「楽あれば苦あり」という慣用表現の「楽」を「毒」にするところまではわからなくもない。

しかし、「楽あれば」→「毒あれば」のあと、「苦あり→きあり」は、自然な思考回路からはちょっと出てこない。「キアリー」という魔法用語があるから思い付くだけで、その言葉がない状態のときに「苦ありをもじろう。くあり……くあり……きあり!」は無理がある。

後付けだ。

ほかに理由があるはずだ。

そして先ほど検索したところ、「癒やす=cure=キュア→キア」が由来だとのことだった。





でもぼくは検索してから思ったのだ。

「由来」、とか、「成り立ち」という意味では「毒あればキアリー」は全くダメダメな理論だとは思う。

けれども頭の中に残るのは圧倒的に「毒あればキアリー」のほうだ。





世にある数々の都市伝説。

根拠が薄弱なのに広まっている医療情報の数々。

一見もっともらしい嘘八百。

これらは、いずれも、「毒あればキアリー」だなと思う。

因果が逆なんだけど、なんとなく人を納得させる説得力。

あるいは、もう少し単純にいうと、「語呂の良さ」がある。





ここまで書いてから思った。あれ、キアリーの由来ってなんだっけ?

……そうだ、キュアだ。さっき書いたばかりなのにもう忘れた。

キュアからキア、そしてキアリーの流れの何が覚えにくいのかって、「キュアとキアリーはさほど似ていない」ことに問題がある。

正しくても覚えられないフレーズというのは確かにある。たいていは、語呂が悪く、スジが悪い。

医療者がよくやることだ。ゆめゆめ忘れてはいけない。