2019年2月15日金曜日

病理の話(294) 分類は変わるが所見は変わらない

このブログはblogger.comで作っている。Bloggerは、天下のGoogleが提供するブログサービスである。

「大丈夫、Googleのブログだよ。」

世の中で一番安定感があるブログだよな、と思っていた。



ところが今日、この記事を書こうかなと思って、管理人専用ページを開くと、一番上に何やら英語で注意書きが出てくるではないか。

おっどうした……まさかの……サービス終了か……?

ぞくっとして中身を読むと、

「”Google+”がサービス終了する関係で、リンクとかの配置が少し変わるよ」

という通告であった。ほっとした。




けれども同時に思った。まったく他人事ではないからだ。

Google+を使っていた人たちは大変だろうな。

今まで記事を載せたりコミュニケーションをしていた媒体そのものが消滅したら、そこから先、どう取り返せばいいのだろう。ちょっと検討がつかない。

ほかにもSNSはいろいろあるでしょう、というわけにもいかないだろう。

いったんGoogle+用にまとめたものは、なかなかほかのブログやSNSにそのまま移行できるものではない。

Google+を使って商売をし、アクセス数ほかの統計解析をしていた人などは、手に入れたデータの多くが無駄になるかもしれない。




実は、病理診断にもそういうことがまれにある。

病理診断というのは、人体から取ってきた臓器の中に含まれる病気を評価・判断する仕事だが、この「判断」の基準が、ときおり変わることがあるのだ。

一例をあげよう。胃がんの場合。

手術で胃をとってきて、病理診断をすると、病理報告書にはだいたい以下のような言葉が書かれる。今回はあえて、専門的な言葉を使って箇条書きにする。

「tub1>tub2, pType 0-IIa+IIc, pT1b2(SM2, 1850 μm), INFb, Ly0, V1b(EVG,SM), pN1(2/20), pDM0, pPM0, pRM0, M0, Stage IB.」

なんのこっちゃと思われるかもしれないがこのまま先に進む。一般的に病理報告書に書かれている文言そのままである。

実は、今から10年ちょっと前には、書き方が違っていた。

まったく同じ病変を、このように書いていた。

「tub1>tub2, Type 0 IIa+IIc, SM2(1850 μm), int, infβ, ly0, v2(EVG,SM), pN2(2/20), pDM(-), pPM(-), pRM(-), M0, Stage II.」

細かく、しかし、ほとんどが変わっている。簡単に説明する。

太字: 書き方が変わったもの。

太字+下線=概念がかわったもの。

太字+下線+斜体=患者に対する影響予測まで完全に変わってしまったもの。


くりかえすが、この2つの表記は、「まったく同じ病変に対する表記」である。ぼくが頭の中で適当に考えた胃の病変を、10年前と今、それぞれの基準、それぞれの決まり事にあわせて書いただけ。

たった10年でこんなに書き方が変わる。そして、書き方はまだしも……

「今後患者がどうなるかという予測」までも変わっている。

一番さいごのStage(ステージ)というところを見て欲しい。

10年前は、この病変は、Stage II。

今だと、Stage I(B)。

今のほうが、「患者はより助かりやすい」という判断になっている。ま、実際にこの10年で、医学が進歩した影響もなくはないのだが。



医学というのは、過去のデータを元に、多くの患者に何が起こったかを知識として時代に蓄積することで、その精度を右肩上がりに上げていく。

年代が進む毎に、観測するための機器がよくなっていくから、昔の患者よりも最近の患者のほうがより細かく評価できる。だからある程度、検査の測定項目は変わる。これは仕方がないことだ。

けれども、それを差し引いても、「昔、人の目できちんと見ることができたデータ」そのものは、今だって同様に評価できるべきだ。

ぼくらは、20年前や30年前のデータを、今に役立てることが、本来は、できる。

でも病理診断の記載方法が10年でこんなに変わってしまうと、困る。

書き方がちょっと変わっただけなら、対応表を書けば、なんとかなる。

けれども、概念まで変わってしまうと、比べようがない。

その都度、倉庫の奥からプレパラートを引っ張り出してきて、「昔診断した人の診断を、やりなおす」ことをしないと、正しいデータがとれない。

こちとら、そんな時間はないのだ(たまにやるけど)。





いちいちプレパラートを見直さなくてもよいように。

「時代と共に、書き方や、分類の仕方が変わる」ことをよくわかっている病理医は、ある対処をする。

患者を分類にあてはめて終わるのではなく、きちんと、まるで小説やエッセイを書くかのような気分で、患者に何が起こっているのかを「記述」する。

そうすれば、箇条書きの仕方が変わったからといってあわてなくてもよくなる。




先ほどの例でいうと、こうだ。

「tub1>tub2, pType 0-IIa+IIc, pT1b2(SM2, 1850 μm), INFb, Ly0, V1b(EVG,SM), pN1(2/20), pDM0, pPM0, pRM0, M0, Stage IB.」

と書いた後に、文章で説明をつける。

「不整な腺管構造や癒合管腔構造を形成する、高分化型~中分化型管状腺癌です。」

 →tub1>tub2に対応

「肉眼的に、病変の辺縁部で境界明瞭な浅い隆起を形成し、内部には陥凹局面を伴います。」

 →pType 0-IIa+IIcに対応

「癌は粘膜筋板を破壊して粘膜下層に浸潤しており、表層から1850 μmまで達しています。」

 →pT1b2(SM2, 1850 μm)に対応

「癌周囲には中等量の線維性間質を伴います。」

 →現在はこの項目を箇条書きに入れていない。昔は「int」に対応していた。

「浸潤様式は中間型で、不整な浸潤境界を示しますがskipするような浸潤像はありません。」

 →INFbに対応

「○番リンパ節に1個、○番リンパ節に1個、合計2個のリンパ節転移を認めます。」

 →現在はpN1に対応。かつては「○番」の扱いが違ったため、pN2に対応していた。




箇条書きはニュアンスを取りこぼす。

「分類」というワクが時代によって変わると、ワクに押し込められた微細な変化は後世に伝わらなくなる。

だから、ぼくらは、枠外のニュアンスを残すために、昔も今も共通のフォーマットである「日本語」を大事にする。




「Google+がなくなるんですって? 大変でしたね」と知人に聞いてみたらこう答えた。

「いやあ同じモノをFBページにも書いてましたし、最近はnoteに移してましたから問題ないです。やり方は少し変わりますけど。こっちの言いたいことが変わるわけじゃないんで(笑)」

なるほどそっすね、と腑に落ちるのだ。