子どものころに、学研の科学雑誌などのふろくで顕微鏡がついてきたことがある。これを読んでいる方の中にも経験者がいるのではなかろうか。
仕組みはとても単純だ。ボディはチャチで軽い。子供用の顕微鏡。
これでまずは、おまけについてきたプレパラートをみると、きれいな模様が見られて大興奮する。
次になにか……小さなものを……見ようと思っても、子どもが見つけることができる「顕微鏡でみる小さなもの」などそうそう思い付かないのだった。
たとえば髪の毛をレンズの下に入れてみる。
……髪の毛くらい分厚いと、下から透過してくる光をさえぎってしまい、視野には真っ黒い影しかうつらない。
髪の毛でもだめなのかよ……。
困って、ティッシュの繊維であるとか、ぼろぼろになった落ち葉だとかを入れる。
サランラップにマッキーで字を書いたもの、なんてのも意外とよく見える。
そう、下から光をあてて、上から覗くタイプの顕微鏡では、半透明のものしか見ることができないのだ。
ある程度厚みがあると、光が遮られてしまい、影絵になってしまって細胞の中身などは全くみえなくなる。
人体の中からとってきた臓器を顕微鏡でみるときも、これと全く同じだ。
とってきたものをそのまま顕微鏡でみることはできない。
虫眼鏡のような見方では細胞は観察できないのである。
だから、とってきた臓器を、「半透明」にする必要がある……。
でもそんな都合のいい薬品は世の中には存在しない。
そこで昔の人は一計を案じた。
とってきたものを、うすーく切るのだ。
カツオブシを作るように。カンナをかけるかんじで。
臓器の表面の部分から、特殊なカンナで、シャッシャと、薄い膜のようなものを採取する。
具体的には、「厚さ 4 μm」という極薄の膜を作る。
元あった臓器からこの薄い膜を切り取るためのシステムが「薄切装置」だ。
この装置はいまや、病理検査室にいる臨床検査技師さん以外は、なかなか使いこなせない。昔の病理医は自分で薄切ができたというのだが、ぼくは、この薄切ができない。というかぼくより若い病理医はたいてい薄切ができないだろう。
さて、あるカタマリにカンナをかけて、4 μmの膜を取り出してくるためには、そのカタマリの表面部分に見たいモノがなければいけない。
カタマリの内部に見たいモノがあるときに、表面からカンナをかけては大変だ。削っても削っても中身が出てこない。
だから、薄切装置を使う前に、とってきた臓器を「割る」必要がある。
病変が表面に出てくるように、ナイフで臓器を切る。
切って、病変を目で見て、よーしここを顕微鏡でみるぞーと、あたりをつける。
そして病変の大事な部分だけを、「切って、出して」くる。
この作業のことを「切り出し」という。
プレパラートを作って細胞をみる一連の技術の中で、一番テクニカルなのは薄切、すなわち技師さんの仕事だ。ここは熟練の技術が要る。
そして、一番頭脳を使うのは、実は「切り出し」の部分である。
肉眼で病変を見極める段階で、病気のことがよくわからないと、顕微鏡をみても実はよくわからない。そもそも、顕微鏡でどこを見るか決められなければ、顕微鏡診断自体がはじまらないのだ。
顕微鏡をみるためには顕微鏡以前のところでワザと頭脳を使わなければいけないのだ、という、なんだか教訓みたいなお話である。