いつからかツイートの半分くらいが本の話になった。
ぼくのフォローする人間およびぼくをフォローしてくる人間たちは、基本的に、
「本はそんなにいっぱいは読まないけれど、多くの人がおもしろいおもしろいと読む本であれば、まあたまには読んでみてもいいかなー」
というタイプが一番多いように見受ける。
ほかにもいろんなタイプの人がいるんだろうけれど。
なんとなくリアクションをみてるとそう感じる。
本の話をすると、たいていは誰もいやな思いをしないし、興味がない人も「本の話ばっかりするなよ」とか言って怒り出したりはしない。
いやな思いをする人、怒り出す人、そういうのが少ない話題というのは、ツイートしたあとのリアクションがおだやかで、ぼくの心を削らない。
本の話がいちばんいいんだよ。
ぼくはツイッターに人生の8%くらいはかけている。ここから得られるものを大事にしているし、ここに注ぎ込むものにもそれくらいの熱量を込める。……でも今書いていて思ったのだが、人生全体の8%というよりは、人生に上乗せした8%かもしれないなー。
100%で生きている毎日に「税金」をのっけて108%生きている感じだなー。
となるとあまり無駄遣いはできないな。手間だってかかっている。せっかく余計に支払うのだったらそれを有効活用したいな。
あまり自分が腹を立てたり悲しくなったりする内容にはしたくないな。
支払ってなお損するみたいな気持ちになるからね。
となると周りの人を怒らせたり悲しませたりする内容をつぶやいてはだめなのだね。とにかく自分のためにね。
本の話に消費税を払い続けたおかげだろうか、自分の知らない世界の優れた人々を目にする機会は以前より多くなった。
自分の職種とか趣味に近い本も読むけれど。
近年は安楽死、ケア、当事者研究みたいな内容の話をよく好んで読んでいる。このへんはツイッターをはじめる前にはほとんど読んでいなかったと思うなあ。
病理医というのは医者ではあるけれど、ぼくは読書でまで死のことを読もうとは、以前はあまり思っていなかったはずだ。
そしてもちろん、子供のころはまず読まなかった内容である。大人になってようやく読めるようになったのだな。
……でも、冷静に考えてみると、ブンガクとか絵本なんてものは元来、死生観を大切に扱うジャンルなのであった。まったく読んでないわけではないんだ。
子供のころに「中動態」とか「早期緩和ケア」とか「無責」みたいな専門用語を読む機会はなかったけれども、人はなぜ死ぬのか、人はどのように死ぬのか、みたいな話は読む機会があった。
直接死に触れずとも、「何かをおおらかに観察するやり方」みたいなものだったらいくらでも触れることができた。
「かがくのとものもと」という、至高のクロニクルを読んでいて、思った。
「〇〇になりたい人はこれを読め」っていうタイプの啓蒙や教育って意味ねぇなー、って。
一見、自分のやることに関係がなくても、伝え方が優れているものをただ読むだけで、なんだか、いろいろ、つながっていくものなのかもしれないなー、って。
あんまり難しいこと考えずに本の話してゲラゲラやっていきてぇなー。