2019年6月18日火曜日

病理の話(334) なんでや全身関係ないやろ

病理医は「全身あらゆる臓器の病理」に詳しい、ということになっている。

実際、病理専門医の資格試験を受ける時には、脳腫瘍から皮膚の病気、肝臓に肺、乳腺に大腸に胆嚢に、とにかくありとあらゆる臓器に発生する「病気」とその「見た目」、さらには「顕微鏡でどう見えるか」、「遺伝子にどのような異常があるか」を学ぶ。だから、病理専門医である限り、過去に一度は「全身に習熟した状態」になっている(最低限の知識に過ぎないとはいえ)。

けれども、たとえば今のぼく……。医者になって16年目のぼくは、全身あらゆる臓器の病理に詳しいわけでは、ない。

残念ながら。



自分が今勤めている病院で、頻繁に扱う臓器の病理については、詳しい。

胃、大腸、肝臓、胆嚢、胆管、膵臓、乳腺、甲状腺、肺、リンパ節については、詳しいといっていいレベルだ。

子宮、卵巣、膀胱、腎臓、尿管、精巣、唾液腺、皮膚などについては、まあそのへんの医者よりは詳しいが、病理医としてはわりと普通……だと思う。あまり大きなことはいえない。

脳や軟部組織については、もはや「苦手」になりつつある。10年くらい新しい情報をあまり仕入れていない。普段みないからだ。

細かいところでは、「腎腫瘍は頻繁にみるのだが、腎生検はみない」なんてのもある。

「肝腫瘍はいっぱいみているが、肝門部病変だけはみる頻度が少ない」というのもある。

どちらも、「当院では扱っていない」からだ。

同じ理由で、小児の病理もあまり詳しくない。

ムラが出てしまっている。




「病理」というだけでだいぶマニアックなのだが、その中にもさらに専門性がわかれており、ぼくは病理の中でもこことここ、というように、どんどん偏っている。

毎日とんでもない数の医学論文が出され、医学は常に過去をとんでもないスピードで置き去りにして進んでいく。

詳しかった分野から、何かの理由でふと離れてしまうと、1年経った頃にはもうついていけない。





これは病理に限った話ではない。

よく言う笑い話(このブログにも書いたことがある)として、

「整形外科医はそれぞれ専門分野がある。1丁目の佐藤先生は、人差し指のさきっぽの関節のことに詳しい。4丁目の鈴木先生は、中指の根元の関節に詳しい。そして、二人とも、小指の関節は診たくないと言っている」

なんてのがある。

これはいくらなんでも冗談だろう、と思っていたが、先日実際に整形外科医に話を聞いてみると、

「実際、肘に詳しい整形外科医の中には、膝を診たがらない人がいるぜ」

といわれて驚いてしまった。





臓器ごとに専門が細かくわかれた今の時代、世界中を探し回れば、たいてい、どんなマニアックな部位にも専門家が控えている。インターネットがあるから大助かりだ。

ただ、あらゆる医者が苦手にしている分野というのがある。

それは、「複数の場所に異常が出る病気」だ。




たとえば、頭皮と肺と腎臓に同時に病変がでる病気、というのがある。

この病気に「皮膚の専門家」が出会った場合、肺や腎臓にも病変が出るということを知らないと、診断できない。

この病気に「腎臓の専門家」が出会った場合、頭皮とか肺に病気があるかないかを気にしておかなければ、診断名にたどりつけない。

口でいうのは簡単だがこれはけっこうたいへんなことである。

最近の病理医は、臓器ごとに細かく細分化された専門にすがって生きている。だから、複数の臓器をまたいで病変が出現する病気については、いつも……というほどではないけれど、ときおり……ビクビクしている。

ぼくも、ときどき、思いついたように、専門外の教科書を読みながら、いつか必ずやってくる「専門外」に備えている。

やっぱ全身あらゆる部分が診られるのが一番だよなー、などとうそぶいたりもする。

……でもそんなことほんとに可能なのだろうか……と、図書館にあふれる膨大な本、雑誌、さらにはPubMedにさんぜんと輝く「掲載医学論文 全3000万本」という数字をみて、たじろいでしまう。