2019年6月10日月曜日

病理の話(331) 細胞の形状がどうおかしいかを人に伝える技術

病理医が細胞をみて「がんだ!」と言ったらそれは基本的にがんなのである。

もっと正確にいうならば、いったん病理医が「がん」と名付けたものを、それ以外の人間が「いや、これはがんではない。がんによく似ているが違う。」というように、意見をひっくり返すことは極めて難しい。

なにせ実際に病気そのものを見ているわけだから。強い。

CTとかMRIで、病気の「影絵」だけをみて、がんかもしれない、がんではないだろう、と診断する行為はあくまで「推理」である。では答え合わせをしましょう、といって細胞を採取して、細胞そのものをみて、「がんでした。」といえば、事前の推理などは歯が立たないのだ。




……とは言ってみたものの。

病理医だって人間なのである。自信がなくなることもある。また、錯覚だってすることもある。

「細胞が悪そうにみえた」からがん。では、その、「見え方」というのはどうやって決めているのか? なんだか話を聞いていると、ひどく主観的ではないか?



いやー病理診断ってのは客観的ですよ。そうやって病理医が抗弁すれば、もはや臨床医たちは反論ができない。

そうか、では客観的に病理診断してください。よろしくお願いしますよ。

疑念に満ちた目で、病理医を見つめることしかできないだろう。



病理医の診断に疑問を持ってしまうと、日常診療がちょっとだけつらくなる。だから、優れた臨床医ほど、「なぜあなた(病理医)は、これががんだと思ったのですか?」という疑問を、躊躇せずに、口に出す。直接病理医にぶつける。

そこで病理医がどうこたえるか。

きちんと、自分の診断の根拠を、臨床医に伝えることができるかどうか。

ここに、「病理診断が信頼されるか否か」の分水嶺がある。




いくつかの例をあげて説明する。今から出す例は、すべて、「Q.」と「A.」でできている。「Q.」は臨床医からの問い。「A.」はそれに病理医がどう返すか。


【例1】

「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」

「A. 核異型がはっきりしているから、がんです。」

まずこれが一番最悪のパターンだ。

「核異型」という言葉が専門用語なので、この時点でたいていの人は、「あーなんかわからない基準に従ったんですね」と、理解することをあきらめてしまう。

仮に、「核異型」という言葉の意味を知っていたとしても……。というかこの言葉はそれほど難しい言葉ではない。ありとあらゆる細胞の中には「細胞核」というのが含まれている。「異型」というのは、「正常からのかけ離れ」という意味だ。つまり「核異型」というのは、「細胞の中にある核が、正常からどれくらいかけ離れているか」という意味の言葉だ。

したがって、「核異型がはっきりしているから、がんです」は、「核が、正常と違うから、がんです」という意味になる。

こんな答え方をする病理医は、ダメなのだ。

はっきりダメ出しをしてやるべきだ。

「核異型がはっきりしているからがんだって? じゃあその核は、正常と比べて、どう違うんだ? はっきりしているというが、どれくらいはっきりしているんだ?」

そう、この回答には、「具体的にどのようにかけ離れているか」、「どれくらいの程度、かけ離れているか」という、種別や量の概念がまったく含まれていないのである。

あるのは「はっきり」という、病理医自信が確信をもったのだろうなあという極めて主観的な言葉だけだ。



【例2】

「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」

「A. 核のサイズが、すごく大きくなっている。核腫大があるから、がんです。」

今度の病理医は少し丁寧になった。

細胞ががんであると判断するために、説明のなかに「何が」「どのように」を加えた。

「核のサイズが大きい」。

しかしこれもまだ主観的だ。「すごく」というのはどれくらいなのだ。




【例3』

「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」

「A. 核のサイズが、正常の細胞と比べて、2倍から3倍以上になっています。だからがんです」

だんだん具体的になってきた。「正常の細胞よりも2倍以上大きい」というのは、主観というよりは客観に近い説明方法だ。「すごく」というと「どれくらい?」と尋ねたくなるが、「2倍から3倍以上」となれば、より具体的にイメージしやすいだろう。

たとえばこれくらいのことを、日常的にレポートに書いていてくれれば、臨床医は「病理医の目の付け所」をよく理解するようになる。



ただ、これを読んだあなた方の一部が今感じたような……

「核が大きいとがんだってのはわかったけど、それはなぜなの?」

という疑問には、答えられていない。

だから、ほんとうに臨床医と仲良くやっていこうという病理医は、ときおり、臨床医に対してこのように説明を加える。




【例4】

「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」

「A. 核のサイズが、正常の細胞と比べて、2倍から3倍以上になっています。細胞核というのは、細胞の中にあるタンパク質の量や質をコントロールし、細胞の動きをつかさどる『染色体』の入れ物です。この入れ物が大きくなり、色合いも濃くなっているときは、染色体が非常によく使われていることを意味します。細胞が激しく増殖しようとしているときや、細胞が異常な活性を示しているときに、核は大きくなります。直径にして2倍になれば、断面積は4倍、体積は8倍大きいということ。核の直径が2倍でかいということは、染色体の入れ物が事実上は8倍でかくなっているということです。そんなことは、正常の細胞ではほとんどありえません。おまけにこれだけ増殖活性(といいます)が高くなっている細胞が、1つ、2つではなく、ある程度のボリュームである場所に固まって増えている。あちこちにぽつぽつと散らばっているのではなく、ある1か所に領域として固まって異常が起こっているということは、その場所の細胞たちがみな、同じように増殖異常をきたしているということになります。これは偶然ではありえません。領域全体が、異常増殖を示す細胞、すなわち腫瘍であると断定できます。腫瘍といっても良性と悪性がありますが……」




まあこうやって毎回説明できれば完璧ではあるだろう。

でもこんな文章を毎回病理診断報告書に書かれては、読むほうもたまったものではない。

くどい。

長い。




そう、完全な説明というのは厳密すぎるのだ。

日常診療の中で、毎回、客観的な判断の根拠を不足なく書き連ねると、過剰になってしまう。

過不足なく書ければいいのだが……不足はわりと簡単に埋められるけれど、過剰を避けるのは思った以上に難しい。

ということでぼくが考える現時点での最善手……。

「病理医が、ある細胞のどこがどのようにどれくらいおかしいのかを、臨床医に過不足なく伝える方法」

は、たぶん以下のようなものだ。



「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」

「A. 核のサイズが、正常の細胞と比べて、2倍から3倍以上になっています。だからがんです」(※なおこの病理医はどんな診断のときにも必ず客観的な指標を用意していて、ここに書いた以上の根拠と基準をきちんと持っているのだが、報告書を読む臨床医にとっては報告書があまり長文だと大変なので、とりあえず日常的な病理診断報告書はシンプルに書いているが、いざというときには長文で説明してくれるし、そもそもとても気さくで、電話をすればいつでも応じてくれるし、病理検査室を訪れればいつでもニコニコ応対してくれるし、知りたいことがあればどこまででもじっくりと答えてくれるので、今回の件についてもあとでじっくり話を聞こうと思えば聞ける。なお実はすごくいいやつなので、用がなくてもたまに話しかけたくなるタイプであるとする。)