もっと正確にいうならば、いったん病理医が「がん」と名付けたものを、それ以外の人間が「いや、これはがんではない。がんによく似ているが違う。」というように、意見をひっくり返すことは極めて難しい。
なにせ実際に病気そのものを見ているわけだから。強い。
CTとかMRIで、病気の「影絵」だけをみて、がんかもしれない、がんではないだろう、と診断する行為はあくまで「推理」である。では答え合わせをしましょう、といって細胞を採取して、細胞そのものをみて、「がんでした。」といえば、事前の推理などは歯が立たないのだ。
……とは言ってみたものの。
病理医だって人間なのである。自信がなくなることもある。また、錯覚だってすることもある。
「細胞が悪そうにみえた」からがん。では、その、「見え方」というのはどうやって決めているのか? なんだか話を聞いていると、ひどく主観的ではないか?
いやー病理診断ってのは客観的ですよ。そうやって病理医が抗弁すれば、もはや臨床医たちは反論ができない。
そうか、では客観的に病理診断してください。よろしくお願いしますよ。
疑念に満ちた目で、病理医を見つめることしかできないだろう。
病理医の診断に疑問を持ってしまうと、日常診療がちょっとだけつらくなる。だから、優れた臨床医ほど、「なぜあなた(病理医)は、これががんだと思ったのですか?」という疑問を、躊躇せずに、口に出す。直接病理医にぶつける。
そこで病理医がどうこたえるか。
きちんと、自分の診断の根拠を、臨床医に伝えることができるかどうか。
ここに、「病理診断が信頼されるか否か」の分水嶺がある。
いくつかの例をあげて説明する。今から出す例は、すべて、「Q.」と「A.」でできている。「Q.」は臨床医からの問い。「A.」はそれに病理医がどう返すか。
【例1】
「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」
「A. 核異型がはっきりしているから、がんです。」
まずこれが一番最悪のパターンだ。
「核異型」という言葉が専門用語なので、この時点でたいていの人は、「あーなんかわからない基準に従ったんですね」と、理解することをあきらめてしまう。
仮に、「核異型」という言葉の意味を知っていたとしても……。というかこの言葉はそれほど難しい言葉ではない。ありとあらゆる細胞の中には「細胞核」というのが含まれている。「異型」というのは、「正常からのかけ離れ」という意味だ。つまり「核異型」というのは、「細胞の中にある核が、正常からどれくらいかけ離れているか」という意味の言葉だ。
したがって、「核異型がはっきりしているから、がんです」は、「核が、正常と違うから、がんです」という意味になる。
こんな答え方をする病理医は、ダメなのだ。
はっきりダメ出しをしてやるべきだ。
「核異型がはっきりしているからがんだって? じゃあその核は、正常と比べて、どう違うんだ? はっきりしているというが、どれくらいはっきりしているんだ?」
そう、この回答には、「具体的にどのようにかけ離れているか」、「どれくらいの程度、かけ離れているか」という、種別や量の概念がまったく含まれていないのである。
あるのは「はっきり」という、病理医自信が確信をもったのだろうなあという極めて主観的な言葉だけだ。
【例2】
「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」
今度の病理医は少し丁寧になった。
細胞ががんであると判断するために、説明のなかに「何が」「どのように」を加えた。
「核のサイズが大きい」。
しかしこれもまだ主観的だ。「すごく」というのはどれくらいなのだ。
【例3』
「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」
たとえばこれくらいのことを、日常的にレポートに書いていてくれれば、臨床医は「病理医の目の付け所」をよく理解するようになる。
ただ、これを読んだあなた方の一部が今感じたような……
「核が大きいとがんだってのはわかったけど、それはなぜなの?」
という疑問には、答えられていない。
だから、ほんとうに臨床医と仲良くやっていこうという病理医は、ときおり、臨床医に対してこのように説明を加える。
【例4】
「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」
でもこんな文章を毎回病理診断報告書に書かれては、読むほうもたまったものではない。
くどい。
長い。
そう、完全な説明というのは厳密すぎるのだ。
日常診療の中で、毎回、客観的な判断の根拠を不足なく書き連ねると、過剰になってしまう。
過不足なく書ければいいのだが……不足はわりと簡単に埋められるけれど、過剰を避けるのは思った以上に難しい。
ということでぼくが考える現時点での最善手……。
「病理医が、ある細胞のどこがどのようにどれくらいおかしいのかを、臨床医に過不足なく伝える方法」
は、たぶん以下のようなものだ。
「Q. 今回とってきた細胞は、がんだと言われましたが、根拠はありますか?」