ぼくら大人は、ぶっちゃけて言うと虫メガネをなめていると思う。
たとえば指紋を見てみたらいい。ぎょっとするから。ミステリーサークルで騒いでいる場合ではない。あなたの指先や手にはすでに無数の「宇宙人の仕業」がちみつに走っているのだ! みたいな。
そういえば、指紋って指のどこまで続いていると思う? 最初の関節のところじゃないんだよね。たいていの人は。あらためて見てみたらおどろくよ。
まあいまどき手元に虫メガネがある人も減ったかもしれんけど……。
拡大するだけでけっこうびっくりする、という幼児体験みたいなものを忘れて顕微鏡の話をしても盛り上がらないんだよな。
さて虫メガネを手に入れたとして(ポチっとけ)、指紋ばかり見ていてもうらぶれた所轄の刑事みたいな気持ちになるだろうから、もうすこしべつのものを見ることにする。
次はネットに入れずに洗濯して毛玉まみれになったぼくのズボンを見る。
さらに手近な街路樹の下に落ちている葉っぱの葉脈を……しまった北海道は冬だ。
だったら雪の結晶を見よう。サイエンス! サイエーンス!
と、このペースでずっと虫メガネをやりつづけているとそのうち、「もっと拡大したい」という気持ちになるものなのだ。人間はみな、常に、「もっと拡大したい」という本心を抑え込んで生きている。この抑圧を解放して人前でしゃべっているのがベンチャー企業の経営者だと考えればいい。「拡大したい欲求」は人間の三大欲の四番目にある。
で、拡大をあげていくと……
ちょっとここでヘッタクソな図を描くがついてきてほしい。
これっくらいの
__________________
おべんっとばっこの底板に
__________________ ←板だけ
光線 光線 ちょっとあてて
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ←光線
__________________ ←板だけ
単位面積あたりの光線の数を
ここを観察
←―――――――→
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ←光線
__________________ ←板だけ
歌うのめんどくせえから普通に話そう。こうやって外界の光があたっている物質を観察するとき、観察する範囲をどんどんクローズアップしていくとどうなるか?
ここだけを観察
←→
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ←光線
__________________ ←板だけ
当然、観察範囲が小さくなれば、光線(矢印)の量が少なくなるだろう。
つまり小さい範囲を拡大すればするほど、「暗くなる」のである。
実は人間がこのまま特にカネもかけずに何かを拡大して見ていこうとするとき、拡大できる倍率としては虫メガネくらいが限界なのだ。
そこで、ある程度以上(たとえば100倍くらい)にものを拡大してみたいときには、光量を増やさないといけない。
ところが残念なことに、物質に表面から強い光を当ててもなんだかある一定以上の光だとうまくいかなくなるのだ。散乱するからなのかな? ハレーションでも起こすのかな? 詳しくは知らん(物理の人はたぶん知ってる)けどなんかうまくいかんのです。
そこで、昔の人はえらいな、ある程度以上の倍率で何かを拡大する、つまりは顕微鏡を使うときには、ものに対して上から光を当てるんじゃなくて、
下から光を当てる
ことにしたのである。
いやいやそれだと影絵になるべや、と突っ込みたくなるがそうではない。
拡大を上げまくるときには、見たいものをペラッペラに薄く切って、それはもうミシュラン2つ星の割烹のシェフがやるかつらむき見たいにペラッペラにして、下から光を当てる。
そうするとぺらぺらに切られたミクロなものの断面がきっちり透過光で観察できるようになるのである。
指紋くらいをみるならそのまま反射光で見ていいのだ。
けれども、指紋を作っている表皮の皮丘や皮溝を細胞レベル(!)で見ようと思ったら、断面処理をして下から光を当てる。これが一番なのである。
ということで顕微鏡で細胞見るマンたちは基本的にぺらっぺら細胞ばかり見ている。長くなったので続きはまたいずれ。まあ何度も書いてきたけれど……。