2020年2月17日月曜日

ぶっちゃけ受験でもしてみようかと思ってしまった

ある哲学者が、高度な数学や物理学、さらには生命科学や医学の話を「机上の論」として完璧に理解しているのをみて、そうだよな、哲学こそはそういうジャンルだよなあ、と、妙に納得してしまった。

哲学の定義はうまく語れないのだけれど、世界の「仕組みたち」を語る学問であり、世界の「仕組みたち」を語ることで「自分をわかろうとする」ナニモノカではあると思う。

だから哲学者たちはいろいろな手法で、世に無限にある「システムズ」を解釈している。ブンガクとかブンケイの手法だけ使ってやっているわけではない。

世にあるすべての「了解するためのワザ」は、それが哲学っぽくなくても哲学の道具になっているのだ。そのことを最近思い知った。

腑に落ちた。

哲学というのは言葉で遊ぶ学問ではなかった。ぶっちゃけ、実用性がない思考あそびだと思っていた。いや、そこまで痛烈に、意識的に哲学をバカにしたことはなかったと思うけれど、なんとなく情動として、無意識と意識の中間くらいのところで、ぼくはまだ哲学をなめていたのだと思う。

最近、哲学者たちが語る科学論の解像度が高すぎることに、ぼくはちょっとがっくり来た。科学者よりよっぽど語れるのだ、参ってしまう。彼らにないものは「実際に手を動かすこと」だけ? いや、そういう虚勢すらも、いつまで張っていられるものか……。




「哲学は所詮文系だと思っていた」。

「理系の理屈」なら、ぼくらの方が上だと内心感じていた。

正直にうちのめされている。

この年になっても相変わらず未熟であることに。気づくヒントはそこら中にあったのに。







最近は毎日のように哲学に関係のある本を読んでいる。いずれもぼくをきっちり殴ってくる。

殴られるがままだ。いい言葉が無数にある……。



言葉! 言葉! 言葉だ!



ここ数年のぼくのキーワードは「複雑系」であり「劇場」。

このあたりのことば、語彙、表現方法みたいなものを、この先にどんどん広げていこうと思ったら、ぼくは哲学を真剣にやっていくべきなのかもな、と、今はそういう気持ちでいる。とにかく無限に本を読むしかない。有限の外。自閉的な今。境界線の引き直し。断片。切断。あーこれぼくが知らなかったぼくじゃん……。