2020年2月14日金曜日

病理の話(414) 大腸ポリープを見る

大腸を、大腸カメラで覗いていく検査がある。下部消化管・内視鏡検査と呼ぶ。

この検査は、「ポリープ」などのできものを探し出すことができる。ほかにもいろいろできる検査だけれども、基本的には各種のできものを発見することが目標となる。

「できものがないことを確認して、安心したい」。これはみんなの願いだろう。




できものが見つかると、医者も患者も一瞬「あっ」と思う。たとえばそれがポリープと呼ばれる、Google mapの目的地表示の赤いピンみたいなかたちの、粘膜から飛び出たタイプの病変だと、横でカメラを一緒に見ている患者からしても一目瞭然でわかる。

ただし、ポリープにもいろいろなタイプがある。まち針みたいな形状のものもあれば、東京ドームみたいな半球状のものもある。さらには、ポリープという名称がそもそも用いられないような、平べったくて、色調や模様がわずかに変わっていることで何かあると気づけるような……背景の生地とほとんど同じ柄のアップリケ、とでも言うべきか……素人目にはすぐはわからないかたちの病変も見つかることがある。近年はカメラの解像度がよくなったので、いろいろな形状の病変が前よりも見つかりやすくなった。

ポリープなどが見つかった場合、後日あらためて再検査をするケースも多い。しかしそのポリープが「いかにもとりやすそうなサイズ・形状」をしている場合、大腸カメラの先からマジックハンド(鉗子:かんし)やスネア(投げ縄みたいなやつ)や特殊なナイフ(省略)などを出して、その場でポリープを切り取って治療してしまうこともある。



さて、ポリープとは言ってみれば「できもの」なわけだが、このできもの、なぜできたのか、というところはなかなか大切である。



「気まぐれ」? 細胞に気まぐれがありうるかという議論は実はすごくむずかしいのだけれど、実際、気まぐれですとしかいいようのない、実は放っておいてもさほど悪影響がないような、「たちのいい」病変であることはある。

一方、ポリープが、がんをはじめとする様々な病気の「出始めの姿」であることもあって、こちらの場合は緊張してことに当たらなければいけない。

「たいしたものじゃない」のか、「慎重に対処しなきゃいけない」のかの差は大きい。俗に「良悪」、「よいものかわるいものか」などと表現する。細胞のよし悪しだ。

細胞のよし悪しは、ポリープを表面から目で見ているだけでは決着がつかないので悩ましい。かなりいい線まで予測はできるのだが確信をもっていい悪いとは言えない。だから、顕微鏡で細胞の性状に肉薄することが必要となる。顕微鏡での診断を加えることで、自信をもって「このポリープは、いいものか、悪いものか」を言えるようになる。




大腸カメラで採られるポリープの多くは、がんではない。けれども、「ときにがんのことがある」から、医者としても患者としても決着を付けておきたい気分となる。

そして、実際には、「がんまではたどり着いていないけれど、放っておくとそのうちがんになったであろう病気」のことがけっこうある。

放っておくとがん。

前がん病変などと呼ばれる。

がんというのは、ある日突然そこにがんが生まれるという類いの病気ではない(昔はそういうタイプのがんもあるとされたが、最近はどうも、がんになる前の細胞にはほとんどの場合、ある種の徴候があるのではないかという説の方が濃厚。ただしその徴候が目に見えるかどうかは別で、というか、むしろ目に見えないことが多い)。

細胞の中にあるDNAに、時間とともに少しずつ異常が蓄積して、がんに向けて一歩一歩すすんでいくようなイメージ。すなわち、「がんの手前」が存在する。前がん病変(ぜんがんびょうへん)などという。

大腸では、「腺腫(せんしゅ)」という病気が前がん病変の代表だ。ほかにもいくつかある。




細胞は、好き勝手に生まれて育って働いているわけではなく、細胞の中に入っているDNAによって行動や成分があらかじめプログラムされている。このプログラムにエラーが蓄積していくと、細胞のかたち自体が変化していく。

腺腫もがんもプログラムエラーをもつ。がんに近づくにつれて、プログラムエラーの数はどんどん増えていくため、がんに近づけば近づくほど、細胞の見た目や振る舞いにも異常が出始める。

顕微鏡をみることで、その細胞にどれくらいのエラーが起こっているのかを、細胞の成分や振る舞いの異常によって判断することができるのだ。




と、まあ、何度も書きすぎていい加減飽きてきたような内容のことを書いたが(最近書いてなかったから一周回って新鮮だったけれど)、ここからはもうすこし実務的な話を書いて終わる。





ポリープを前にした病理医は、ポリープを構成している細胞を拡大して観察する。このとき、顕微鏡の倍率としては20倍くらいからスタートし、40倍、100倍、200倍くらいまでを普通に使いこなす。ときには600倍くらいまで拡大してチェックすることもある。

と、数字を並べてもなんだかよくわからないだろう。そこで、もうすこしイメージしやすい話を試みる。




ポリープのサイズが8 mmだとしよう。直径8 mmの球状の「頭部」に、こけしのボディのような茎をつけたところを想像して欲しい。これが、大腸の粘膜からピヨッと立っていた。それを、山菜を採るようなイメージで、内視鏡医が根元からつまみとってきた。では今からこれを顕微鏡で見てみよう。

病理の顕微鏡はその性質上、「割面」(断面)を見るしくみになっている。山菜を表面から観察するのではなく、包丁で縦に割って、断面の部分にある細胞をみるのだ。確かにこのほうが、病気の中にある細胞をきちんと見ることができそうだ。




さて、この8 mmのポリープというのは、実感としてだいたいどれくらいの大きさだろう?

ぼくは今、自分の「小指の爪」の大きさを定規ではかってみた。

横が9 mm、たてが10 mmくらい。

ぼくより少し小柄な方であれば、「8 mmのポリープ」はだいたい小指の爪くらいと考えればいい。具体的にイメージできただろうか。

ついでにそのまま爪をみてほしい。

小指の爪は、根元に少し白い部分があるとか、少し縦に筋が入っているとか、先日爪切りをしたときの名残で先が少しとがっているだとか、いろいろ変化があるだろう。

これらの、目で見てもわかる変化については、「顕微鏡の20倍」でよりはっきりと確認することができる。

たとえば、ポリープの表面にある細かな凹凸の理由が、そこにある細胞がタテヨコにどのように並んでいたからだ、みたいな、「構造の由来」を探ることが可能となる。

倍率を少しあげて「40倍」にする。病理医にとっては馴染みのある倍率で、一般に「弱拡大(じゃっかくだい)」というと40倍くらいをさすことがおおい。

細胞の配列が20倍よりもより見やすくなる。極めるとこの時点ですでに、細胞内にある「核」と呼ばれる構造の異常が見える。

20倍のときは、渋谷交差点の人混みをどこかのビルの10階くらいから眺めて、人がどうやって動いているかをなんとなく見ていたかんじ。

これが40倍になると、交差点の角にあるスタバの2階席から、人の顔までいちおう見えるようになってくるイメージ。

そして100倍となると細胞の細かい構造がわかりやすくなってきて、200倍、400倍まで上げると細胞ひとつひとつの「顔つき」がはっきり見えるようになる。

細胞の顔つきは、細胞核の形状、色調、核膜の厚さ、大小の不同性、中に含まれている核質(クロマチン)の濃度など、ほんとうにマニアックな項目によってチェックする。さらには身につけているもの……すなわち細胞質内にある構造物を確認したり、細胞膜の性状をみたり……。




顕微鏡の世界にひたりまくったあとで、病理医はあらためて「20倍」や「40倍」の世界に帰ってくる。ズームアップからロングショットに戻る。

そして、「細胞たち」が「どれくらい周りを破壊しているか、あるいは破壊しようとしているか」という挙動を確認しなおす。破壊がなく、破壊の徴候もまったくなければ、「良性」。細胞による能動的な破壊現象があれば「悪性」。破壊はまだないんだけれどもこの先破壊しそうだという統計の裏打ちがある挙動を示したら「悪性」もしくは「前がん病変」という判断になっていく。




のりのりで書いてたら長くなっちゃった、ここまで長いとだめだな。次は別の病変について書こうと思ってたけどもうすこし短く書きます。