2020年2月10日月曜日

リンクワーカーという文化

最近まれに思うことなんだけど。

たとえば、Aさんという人がいて、彼がそれはもう自信満々で。

Aさん「おれさあ、世の中に足りないモノがあると気づいたんだよ。○○っていうサービスがあったらいいと思わねぇ!??」

みたいなことを言うんだよ。

そこに、誰かが無慈悲につっこむ。

Bさん「もうあるじゃん。□□ってそれやってるよ」

って答えたとするやん。「実はもうある」と。「Aさんが知らないだけだぞ」と。




そしたらAさんみたいな人ってどういう顔する?




(なんだあんのか、じゃ商売にはなんねぇな)




みたいな顔することあるね。




あと、こういうパターンもある。




Aさん「いやあるのかもしれねぇけど少なくとも俺のところにはその情報届いてなかったわけやん? てことは、せっかくサービスがあるのにそれを周知徹底・広告広報・宣伝する力が足りてないってことやん? じゃそのサービスを世に広く知らしめる意味でもあらためて俺がやったらええと思わん?」




うるせえなこいつ。キャラ変えよう。神の力でキャラを変えます。





性格のいいAさん「そうでしたか、存じ上げなくて大変恐縮です。つい、そのようなニーズがあるだろうと気づいてはしゃいでしまいました。私はそのサービスを知らなかったので、すでに○○が世にあるということを知る事ができてとてもうれしいです。そして、このサービスはきっと私以外にも求めている人がいると思いますので、僭越ながらわたk




どういじってもうるせえ。まあいいや。





で、ま、何がいいたいかっていうと、たいていの商品とかアイディアとかサービスとかボランティア的なものって、世の中にすでにあって、誰かが考え付いて運用して、いいことも悪いことも探ってる最中で、同じようなことが今日もどこかで「再発明」され続けている。

なので、すでにあるものを繋いでコミュニティにぶち込むことには大きな価値があるんだけど、その、「すでにあるもの同士をつなぐ」ことが大事なのはいいとして、つなぐ人はどうやったら食っていけるのかなあ……。




Aさんが「自分が考え付いたと思ったらもう世の中でやってる人がいた」となった時点で、偏見かもしれんけど、モチベーションの半分くらいフッ飛んでると思うんだよね。

でもそこで立ち直ったAさんが、「知名度が低いサービスを必要としている人につなげる商売をやりますわ!」ってニヤァって笑うところがなかなか想像できんのだ。

カネに汚そうな、でも実はいい人なのかもしれない、ちょっとうっとうしいしゃべり方をするAさんを、本当に儲けさせながら、実際にそのサービスを世の中に広く伝えていくためにはどこでカネを生んだらいいのか。




税金しかないの? そうだろうか?

クラウドファンディング? そうだろうか?




みたいな話を、最近まれに思っていた。





西先生の『社会的処方』を読んでから、「まれ」が「しょっちゅう」に変わろうとしている。うーんなんかできるのかなあ。