2020年2月12日水曜日

病理の話(413) 病理解剖の話

先日、それなりに病理のことをよく知っている業界人と話していて、「あっ、そこ説明を受ける機会ないんだ!」と思ったことがあったので、今日はその話をする。



病理解剖という仕事がある。

病気で亡くなった人の、死因、さらには「死に至るまでの経過中に、医療者や患者、さらには患者の家族などが腑に落ちなかったこと」を調べるために、解剖をするのだ。

どうやらこの「解剖」という字面が強すぎて、みんなはなんだか「腑分け(ふわけ)」するんでしょ、というイメージを持っているようである。

でも実は臓器を取り出して見ておしまいではないのだ。




取り出した臓器を、見て、さらにその一部を切り出して、プレパラートにして、細胞まで確認する。ここまでやって病理解剖なのだ。むしろこの「ミクロまで確認する作業」がないと病理解剖とは言えない。

マクロ的に臓器をみて考える作業自体も大切なのだが、巨視的な変化については進歩した画像診断、すなわちCTとかMRIの力で、解剖するまでもなくかなり確認できる。

すぐれた画像診断を用いてもなお、医療者たちが頭をひねり、患者も家族もいまいち納得できないような経過を辿った場合、そこには「肉眼では捉えられないレベルのやや珍しい異常」が隠れている場合がある。

だから顕微鏡診断を足すことが非常に重要なのである……。




さらに言うと、顕微鏡でみてもなおワカラナイことも多い。

人体に起こっていた異常が、マクロ(肉眼でみえる)、ミクロ(顕微鏡でなんとか見える)、だけとは限らない。

たとえばダイナミズム(動的な動きに異常がある。止め絵だとわからない)の異常。

あるいは液体の成分(血液の中に含まれているものの割合)の異常。

そういったものは、顕微鏡では捕まえられない。

だから病理解剖まで行った人の検索をする際には、あらゆる臨床データ、検査結果などがレポートにがんがん盛り込まれる。

病理検査室から吐き出される病理診断報告書の中で一番ボリュームが多いのが病理解剖レポートである。全身見てるわけだし、そりゃそうなんだけど。顕微鏡以外のデータもいっぱい考慮されているから。





で、悲しいことに(?)、この病理解剖は、健康保険が利かない。

死んだ患者のために行われる診断に、遺族からお金をとることは、実際問題としてかなり厳しい。そりゃないよと思われるだろう。

だから病理解剖は病院の赤字になる。

おわかりだろうか。




1.病理検査室で一番ボリュームのあるレポートを書くために、

2.病理検査室で一番手間をかけて、

3.病理医の知識をフル動員して、

4.大量の時間と手間を惜しまず注ぎ込んで行う病理解剖診断すべてが、

5.まるまる赤字。





そりゃ病理解剖の件数も減るだろうという話だ。しかし、ねえ……。うん……まあ言いたいことはいっぱいあるんだけどとりあえずここまでにしとく。

病理解剖は今後も減り続ける。赤字だからというよりも、ほかのやり方で病気の検索が可能になっているという技術革新的な理由がでかい。けど絶対に赤字だから減ってるという理由も一因にはなってると思う。ここなんで未だに放置されてるのか。まあ気持ちはわかるけれど。問題に着手するのが20年以上遅かったという気もする。