2020年2月4日火曜日

わからない人はそれでいいですという言葉も同種

個人の感情と、公共の福祉のために使う頭脳とは別である。しかし問題は感情が頭脳をかなりドライブしていることだ。ブーストをかけていると言ってもいい。ブレーキになることもある。

そのことは、ほとんどの人間が、生きていく途中で気づく。感情と頭脳とを分離したほうがよい場面があるとわかる。

「感情と頭脳を分離した方がいいな、という悟りに辿りついた人」を見極める方法がある。今日はこのライフハックをご紹介したい。




「感情と頭脳を分離しないと仕事なんてできないよね」の人を見極めるには、その人の発言を少しさかのぼってみよう。

すると高確率で、「ある言葉」が出てくる。

このような言葉だ。









「自分は、自分にできることを淡々とやるだけです。それがどこかで小さく役に立つと信じて。」








先に言っておくがエビデンスなし。理論構築なし。仮説形成なし。勘である。








「自分にできることをやるだけです」の人は、過去に、「感情によって頭脳の回転数がめちゃくちゃに下がってしまい、にっちもさっちもいかなくなったシーン」を経験している。必ずと言っていい。勘だけど。絶対である。勘だけど。

それだけ。








残酷なことを付け加えると、ぼくは、「自分にできることをやるだけの人」をあわれむ目線を持っている。上から目線に聞こえるだろう、申し訳ない、しかしこれは上だろうが下だろうがもうしょうがない。そういう目線はあるのだ。なぜなら、そのような人は必ず傷ついている。ぼくはそれを勘で知っているのだ。ちなみに勘による知性を人は無知と言う。

ぼくは自分にできないことをやれる人々を集めてくる仕事をする。自分にできることをやるとそういうことになると思う。何も知らないまま。何もわからないくせに。