2022年4月25日月曜日

病理の話(650) 言葉の使い方ひとつで細胞の配列がわかったりわからなかったりする

将来病理医を目指している研修医に、「病理診断の下書き」を書いてもらっている。


手術で採ってきた臓器(胃や肝臓、肺など)を見て、トリミングナイフで病変のある部分をカットし、プレパラートにして観察する。今回のプレパラートはぜんぶで12枚。病変をちょっとだけ切る……のではなく、「切れてるチーズ」のように、短冊状にきれいに切るのがポイントだ。臓器をきれいに切れば、顕微鏡を見たあとに「切る前の写真」と照らし合わせやすくなる。

胃のどの部分が盛り上がっていて、どの部分がへこんでいたかを、細胞の分布とマッチさせて考えて、「細胞がどのように異常だと、肉眼でどのように見えるのか」を鋭く追及する。


研修医は、病変をみて、診断書をこのように書いていた。

「○×○ mm大の病変です。病変の辺縁には周堤があり、内部には陥凹を伴います。」

どれどれ、と、ぼくは臓器の写真を見る。

胃の検体だ。

ふくろ状の胃がはさみで切り開いて展開してある。

粘膜のある面をみると、たしかにそこに、○×○ mm大の、周囲とは模様があきらかに異なる病気を見てとれる。


ただ、研修医の書き方から想像していたものとは、少し異なる印象であった。ここはきちんと「言葉の使い方を揃えておかなければ」と感じる。


「周堤」というのは、まわりにある堤防、というニュアンスだ。ある病変(たいていはがん)の、へりの部分がグアッと、ゴリッと、堤防のように盛り上がっているときに使われる。専門用語である。

写真を見ると、たしかに、病気のへりの部分が周りよりも高く盛り上がっている。しかし、周囲の盛り上がりはそこまでグアッと高いわけではなく……そうだな、例えていうならば、

「国技館の土俵の、俵の部分」

みたいな感じ。

つまりは細く盛り上がっているだけだ。内部も、めちゃくちゃへこんでいるというよりは、それこそ俵の中と外とのように、本質的な高低差があるわけではなく、俵の部分だけが盛り上がっているために中が相対的に低く見えるにすぎない。


そこでぼくは研修医と一緒に、文章を書き直す。


「○×○ mm大の病変です。病変の辺縁には周堤があり、内部には陥凹を伴います。」

「○×○ mm大の病変です。病変の辺縁は全周性・環状に、軽度隆起しており、内部は相対的に陥凹しています。」



以上の修正は、少なくとも、病理医が絶対にやらなければいけないことではない。臨床医も患者も気にする最も大事な項目、「がんか、がんでないか。どれくらい悪いがんなのか。どこまで進行しているのか。」とはあまり関係がない。要は、表現の問題にすぎない。

しかし、これがすごく大事だとぼくは考えている。

ひとりの病理医が見て書いた文章を、ほかの病理医が違うように解釈しては困る。また、臨床医が異なるニュアンスを受け取るのもだめだ。

病気の見た目を言い表すときには、多くの病理医がこれまで納得してきた言葉をきちんと使う。「共通言語」をおろそかにしない。そして、「この病理医はいつも統一した書き方をしているから、慣れてくると写真を見なくても、文章だけで細胞のつくる模様がわかるんだ」と、読む人に思わせなければいけない。



なお、ぼくが先ほど書いた、「病変の辺縁は全周性・環状に、軽度隆起しており、内部は相対的に陥凹しています」という文章は、読む人が読めば、これが「早期胃がん」と呼ばれている病気の、ある種のタイプであろうと予測することができる。きちんと文章を整えておけば、顕微鏡で細胞写真を見なくても、その病気のありようが頭に浮かんでくるのである。