2022年4月14日木曜日

過去に学ぶ

ダジャレを考えているときの脳ってシンプルだよな。

自分でいちから十まで考えてやれるから、一本道の安心感がある。

途中で分岐しない思考ってノーストレスだ。直線的で、広がりはないけど、摩擦熱もおきないし、サスペンションへの負荷もかからない。

ところが、世の中のたいていのことはそう単純にはできていないので、「この場所に居慣れれば居慣れるほど」、思考はぐるぐる渦を巻き、あるいは樹木のように分岐して、おまけに枝先どうしがお互いに勝手に連絡をとりあったりもする。

そういう感じで毎日やっていくことになる。だから、ダジャレみたいな、一直線でスタートからゴールまで駆け抜けるタイプの、15秒CM的に痕跡を残さない思考が癒やしになるのだろう。




そして人間ひとりが孤独に複雑なのではない。世の中の人間みんなが多かれ少なかれ複雑なのだ。樹木と言ったが本当は森なのだ。渦巻きと言ったけれど本当は荒れる大海なのだ。

全員がそれぞれに複雑な状態のなかでポツンとダジャレの人がいるとその周りが瞬間的にスーッと静かになる。すべっているのではない。凪を作っているのである。





というような意味のことを、これまでも何度も、さまざまな中年たちが言っていた。ぼくはそれらをすべて聞き流してきた。「はいはい」と思っていた。今は、「はい」と思うようになっている。歴史というのはそうやって同じことを何度も何度もくり返していく。