2022年5月2日月曜日

病理の話(652) 昔より今のほうが大変なら昔話をしている場合ではない

かつての医学生が大学で習った「ゲノム」の知識。今や、中学や高校の理科で習うのだという。すごいな、将来生命化学をやらないであろう人が山ほど受講するカリキュラムで、ここまでやるんだ……。

「免疫」あたりもすごいぞ。B細胞とT細胞とNK細胞、そして樹状細胞やマクロファージの話が定期試験に出ると聞いた(YouTube動画でもそういう試験対策があったりする)。「はたらく細胞を読んでおかないと生物の試験が解けない」みたいなレベルである。


一方で、物理、化学、数学の教え方は、予備校が出している動画とか、書店に並ぶ参考書をぱらぱらめくってみる限り、昔とほとんど変わっていないように見える。細かいところでは、数学Cがなくなっているみたいな違いがあるのだけれど、ごく一部の超絶受験大学で扱う難問が変わったという話を無視すれば、昔も今もだいたい一緒だ。

英語や国語はどうかな……骨子は変わっていないが要素が変わっている、みたいな感じかもしれない。


こうして考えると生物は特別だなあと思う。必修レベルで求められる知識、その内容はもちろんだが、なにより量が20年前とは雲泥の差である。めちゃくちゃ増えた!

生命化学は、年単位でどんどん積算されていく情報を扱う分野だ。あたかもWindowsパソコンが20年前と今とでは搭載している容量が何千倍も違う、みたいな話である。



「理系科目だと生物かもしれないけど、社会はどう? 社会だって変わったじゃん、特に歴史とか。」

たしかに、歴史が積み重なれば、社会で習う内容も右肩上がりに増えていくよな。昔話だけど、高校で日本史を選択したとき、「近代」の項目が異常に多くてびっくりしてしまった。

「いくやまいまいかやおてはたかやき」。

伊藤博文、黒田清隆、山県有朋……頭文字で無理矢理覚えながら、「これって、総理大臣が増えるたびに、暗記する内容も増えるってことだよな」と呆然とした記憶がある。

その意味では生物は社会と似ている。証拠の積み重ね、経験の参照、過去をひもといて未来に備えようとする姿勢。



今日は「病理の話」なので、病理学とか病理診断の話をここにくっつける。病理医が習わなければいけない内容もまた、かつてより確実に増えている。「中学・高校生物」がどんどん複雑になっていくのと同じ事だ。

かつて、病理医になってから論文などで勉強した全エクソーム解析、エピジェネティクス、マイクロビオーム、これらはもはや医学生向けのテスト問題に出るのだからびっくりする。研究的な話だけではない。「自己免疫疾患と自己炎症疾患の違い」、「ピロリ菌未感染胃に出現し得る病変の鑑別」、「免疫チェックポイント阻害剤を使うにあたって必要な外注検査の種類」。ちょっと前まで学会・研究会で目にした内容だが、いまや、「ごく普通の病理医が知っておかなければいけないこと」だ。研修医・専攻医(専門医を取る前の人)のうちから勉強しておかなければいけない。さらっと言ったけど大変なことだ。


昔よりいっぱい勉強しなきゃいけないんだね~、で話を終わらせるつもりはない。


そもそも研修医や専攻医と呼ばれる「タマゴたち」が病院で過ごす時間は、昔より減っている。自分の生活や家族との時間を圧迫するようなブラックな勤務・研鑽がだんだん許されなくなってきた。それ自体はいいことだ、人生も華やかになるだろう。でも、当のタマゴたちは困惑している。

「覚える内容が多いのに勉強時間が減ってる、これ、どうしたらいいの?」

できるだけ早く独り立ちしたいけれど、病院がそんなに働かせてくれない……と、空回りしてしまう若者たちもいるようだ。


でも、焦ることはない。ていうか、もう、個人の努力でどうにかしようなんて、物量的に無理である。

はっきり言って、今の病理学は、2年(初期研修修了)とか5年(後期研修修了)とか、なんなら7,8年(専門医取得)ほど死ぬ気でがんばったところで、絶対に履修しきれない量になっている。

月に何回徹夜しようが、365日連続勤務を何年も続けようが、無理。

となれば……以前と同じ価値観で、専門を急いで極めようとしなくていい。

「病理専門医をとれば一人前、病理専門医をとるまえに必死に勉強してあとは悠々自適」みたいな考えで、自分のキャリアプランを狭めないほうがよい。



かつて、若いうちに急いで医学・医術を極めるにあたっては、休日出勤、夜討ち朝駆け、病院に泊まり込むくらいの気合いが必要だとされてきた。実際ぼくもそうやって、早く「一人前の病理医」になりたいと願った。10年そうやって頑張って、体も家庭もぼろぼろだが、ようやく一人前になれたかなー、と思わなくもなかった。

しかしそこには落とし穴があった。10年間徹夜で勉強している間も医学は進歩しており、技術もまた10年分先に進んだ。つまり、長い医者生活の「たかだか最初の10年」で体を壊すほどがんばって勉強をしてたどり着いた場所は、そもそも、「最新の病理学」のごく一部でしかなかったのだ。

じゃあ、さらに10年、同じペースで働けるか? 無理だと思った。思ったというか、体が追いつかなかった。20代のつもりで徹夜をしても効率はそれ以上あがっていかない。


じゃあ、どうする?


病理医という仕事は、脳だけでしっかり貢献することができる(立ち仕事・体育会系の仕事とは異なる)ので、70歳になってもキレ味衰えることなく働ける。「勤務寿命」が長い。そうやって、「上」が長く病院で働ければ、下の人たちの業務は程良い量に抑えることができる。ぼくはここにひとつの解決方法が見えると思っている。

そもそも、下の人たちがあわてて一人前になるなんてないのだ。「上さえきちんと働き続けてくれれば」。

しかも……。

病理医として最低限の知識を(古いとは言え)身につけている「上」こそ、最新の医学を常にアップデートすることにおいては若手よりも楽な環境にいる。

だったら。

若手よりも楽に勉強できるくらいに「上」になったのだったら。

若手が困っている雑用や、勉強にならないけれど必要な業務を、「上」がどんどん代わってやるべきだ。残業するべきは「上」である。若い人のタスクを引き受けて、少しでも若手が勉強できるように、「上」が汗をかけばいい。



大きく肥大した、病理診断という学問の世界。ここをそぞろ歩く上で、もっとも大事なのは、「自分ひとりの努力でどうにかしようとしない」ことだ。周り、特に「上」と連携して、知識や労力を補い合うことだ。いざというときにオンラインでもオフラインでもいいから「一番詳しい人」に秒で繋がれる環境にいることだ。

一人前になんて一生なれない、それが令和の病理学である。「みんなでスクラムを組んで一人(?)前」ということを、しっかりと理解する。

自分一人で学問をしょいこむような気持ちになって、自分ばかりが徹夜徹夜とやる必要はない。というか、やらないほうがいい。年を取っても長く働けるように、自分が一生勉強し続けられるだけのペース配分をするべきだ。

短距離走では42キロは走れない。徹夜と休日出勤で42年(28歳で大学院を出たぼくが70歳まで勤めれば勤務は42年である)はもたない。

マラソンの気分で一生勉強をする。膨大になった医学の知識を自分がすべて背負うなどというはかない夢を見ない。「俺一人では無理だが、俺たちなら別だぞ」という関係をきちんと作る、そのために必要なのは……。

いくつになっても勉強を続けるタイプの、若手の業務量に応じて仕事を調整して初期の勉強をしっかり整えてくれる、話のわかる上司。




その上でなお、徹夜したいという若手もいる。ま、わかるよ。やれるとこまでやってみな。でも、無理はしないで。