2022年5月9日月曜日

病理の話(653) ビョウリイングイレブン

いくつか並行して病理AIの研究をしている。うまくいったり、もう少し工夫が必要だったりする。


今や、病理AIの研究者の数は国内に数百人、いや、数千人くらいいる。誰もが使えるオンラインのプログラムで、めんどくさい部分をすっとばしていきなり研究を始められるから、昔ほど専門技術がなくても気軽に研究できる。Nintendo Switchで、子どもでもプログラムっぽい何かができるソフトが出ているのをご存じだろうか? 要は、ああいう感じに近い。学会で「AIを使って何かを成し遂げました」は珍しくもなんともない。ぼくが共同研究者と出している論文の数々も、AI研究に先鞭を付けた人の手間に比べれば、何十分の一くらいの時間しか使っていないし、内容は昔よりはるかに高度だが、同じようなことをしている人たちが国内外にいっぱいいるので、あと半年もしたら古い内容になる。

では、片手間でできるほどの仕事だから研究しない(若い人にまかせる)、とか、いずれ古くなるから研究しない(若い人にまかせる)、という選択肢はあるだろうかというと、ない。ぼくはこの研究をかなり楽しんでいる。

今やっているAI研究がそのままの形で未来の医療に組み込まれることはあり得ない。だから、直接的に「患者のために」やっているのとはちょっと違うようにも思う。それでもぼくはAIの研究を続ける。なぜならAI研究を通じて病理診断自体が深化していく、その過程を目撃することができる状況が、あまりに「おいしい」からである。

これ、何かに例えることができるだろうか。




サッカーのゲームでウィニングイレブンというシリーズがある。

ぼくはたしか大学生くらいのときにはじめてプレイした。今はもう複雑になりすぎていてついていけていないのだけれど、昔はだいぶやりこんだ。

ウィニングイレブンはとてもよくできたゲームだ。昔のサッカーゲームと違って、登場する選手たちにちゃんと個性がある。それも、足が速いとか、ジャンプが高いといった、わかりやすい個性だけではなくて、パスを失敗しやすいとか、トラップが大きくなりやすいとか、それ、どうやってプログラムしてるんだろう、という細かい部分がきちんと再現されている。

しかし、再現されているとは言っても、「所詮はゲーム」だ。昔、ぼくがウィニングイレブンをプレイしていたときには、人間ではあり得ない角度のドリブルを無理矢理させて、人間なら上がらないであろうタイミングでのクロスボールをあげさせて、人間ならそんな頻度ではできないであろうダイビングヘッドをめちゃくちゃやろうとしていたし、そういうことが実際にできた。

ところが、ウィニングイレブンがシリーズを重ねるごとに、そういう、「人間であればできないはずの動き」はゲームでもだんだんできなくなっていった。

おそらく、開発陣は、常に最高のサッカーゲームを作ろうと思ってその都度最新のプログラムを組んで、世に出して、みんながそれを遊んで、そこで出てきた「実物と比べたときの違和感」や、「ある程度ファンタジーだけどゲームでしか楽しめない部分」のバランスをずっととり続けてきたのだろう。

おかげで今のウィニングイレブンはかなり「リアル」である。もちろん現実のサッカーとはいつまでも別モノであるが、「ハァ? ゲームと現実は別じゃん」という評価では収まらなくなってきている。もうちょっとなにか、別種の、違う関係になりつつある。

「このディフェンダーの動きはゲームだからこうやって反応できるけど、実際には人間はこのタイプのドリブルに対してこういう反応は難しいよな」とか、「ゲームみたいにサイドバックがこの動きをずっと繰り返せりゃいいけど、実際には途中で心が折れたりするんだよな」みたいなことを、かなりリアルなゲームをやっている間中、たまに考える。これはサッカーの素人であるぼくが言うことではなくて、先日、小学校から社会人までずっとサッカーをやっていた同い年の友人が教えてくれたことだ。「ウィイレやってるとさー、自分のサッカーを振り返ることもあるんだよな。」


友人がそう言ったとき真っ先にぼくが考えたのが病理AIのことだった。「病理AIやってるとさー、自分の病理診断を振り返ることもあるんだよな。」

AIが行う診断のメカニズムも結果の出力方式も、ヒトのそれとは違う。違うが、一部、似ている部分がある。AIが進化するにつれて、だんだんその「リアルさ」がヒトに近づいて来た。ただし、近づいてはいるのだけれど、そもそも病理AI研究者は(ぼくもふくめて)ヒトの診断が最高のものだとは思っていない。よりよい治療、よりよい医療のために、AIを研ぎ澄ませてどのようなアウトプットをさせたら一番役に立つかということを考えていた結果として、「ヒトとは違う診断方法」を残したまま、AIはパワーアップしていく。そういうのをぼくは、研究をしながらじっと見る。見て、「うっ、これ、人間だったら絶対やらない方法をとっているけれど、それでこの精度で診断できちゃうのか……」なんてことをよく考える。

「人間だってこのやり方で診断しようと思えばできるはずなんだけど、現実的に、これをやると、現場でこれこれこういう不都合が起こりそうだから、人間はやらないんだよな、でも、AIはこれをやる、なぜだろう?」みたいなことも考える。

ウィニングイレブンをプレイしながら、実際のサッカー選手が自分のプレイを振り返るときのように、ぼくもまた、病理AIの研究をしながら、自分の診断の可能性を振り返っているのだ。これはちょっと楽しすぎてうけるぞ。みんなももっとやればいいのに。