2022年5月30日月曜日

リアカーへの乗り換え

中年太り、中年たるみが進んでいる。

腕立て伏せや腹筋などはお金もかからないしスペースも要らない、なのになぜやらないのか? やればいいのでは? と思っていたが、最近ようやくわかった。筋肉が衰える理由。「筋肉を衰えさせたくない!」とがんばっている心がまず衰えるのだ。「ここで腕立て伏せをしたからと言ってなんなのだ」「ここで腹筋をしてお腹をしぼったからと言ってそれがどうだと言うのだ」という気持ちを着実に獲得している。結果、太り、たるむ。


老いに任せてゆるゆるとだめになっていく部分を許容しないと心がささくれだってしまうからしかたがない、くらいのスムースな言い訳がスラスラ頭から飛び出してくる。年の功というやつである。


そして老いには若さとは違う意味での金がかかる。10年以上前から買いそろえてきたスーツ、あれらが自分のハラ周りや尻周りとフィットしない。「太って入らない」というだけの話ではない(いちおう入りはするのだ)、シルエットがしっくりこないのだ。たるんだ体をおさめるためのスーツというのはおそらく型からして違うのだろう。30代前半のときに似合うと信じていたスーツはとっくにくたびれているのだが、それがくたびれた自分にうまいこと合うかというと、合わない。そろそろスーツを何着か新調すべきなのである。それも、青山のリクルートスーツではいかんのだ。つまりは金がかかる。


ハンカチやベルトも買い換えた方がいい。


ネクタイは……大丈夫かな……昔、祖母に誕生日ごとに2本ずつもらっていたネクタイが一生分ある。多少、流行りからずれてもいい。ネクタイはこれでいい。


時計をどうしよう。この10年で、時計を2本なくしてしまった。どちらもとても大切にしていたのだが。新しく買い換えてもまたなくすのではないかと思って、かれこれ5年くらい時計はしていない。スマホでいいといえばいいのだ、しかし、「老いにあわせて全身をコーディネートしなおす」にあたって、時計があったほうがよいのではないか、という気持ちはある。


ハットは? そんなのかぶったこともないからやめておく。


靴!


そうだ、靴だ。靴こそ買わなければいけないと思う。今にして思えばぼくはこれまでまともな靴を履いてこなかったし、それで何か苦労したことも、損したこともなかったけれど、今こそ、全身の老いを狭い表面積で受け止めているふたつの足裏のために、しっかりと選んだ靴を履くべきなのだ。あと、靴下。


これだけのものを買いそろえて維持し続けていくよりも、腕立て伏せや腹筋を毎日しっかりやって、「若い頃に揃えた服を長持ちさせる」とか、「若い頃とおなじセンスで服を選び続ける」ほうが、脳の負担は少なくて済むのではないか……と少しだけ思った。老いに抵抗することにはおそらく2種類ある。若かりしころの「初速の慣性」を失わないよう、トロッコの前方に伸びる線路をひたすらスイープして等速直線運動を試みることと、もうひとつ、「さっさとトロッコを降りて別のスケボーか何かに乗り換える」ことだ。スケボー? それは若すぎる、リアカーくらいで十分だろう。